私のような断酒のやり方だと、身近に断酒の仲間がいない。
ブログに集って下さる多くの断酒仲間も、私と同じような断酒のスタイルを取っている方が多い。身近に断酒の仲間はいないとおっしゃる方ばかりだ。
それなので、たまに開催するオフ会は、とても盛り上がるのだろう。酒も飲んでないのに、あまりにも陽気過ぎて、一瞬、酔っ払っているような錯覚を起こす。
普段話したくても話せないことを、お互いに話し、聞き、自分の思いが伝わり、相手の話が身に沁み、会話のキャッチボールが延々と続くのが、楽しいのだ。
私は以前から、断酒仲間のことを、断酒朋と称している。友ではなくて朋なのだ。
酒友は、酒場に行けばいくらでも作れる。ある意味、ありふれた、どうでもいい存在なのが酒友、つまり飲み友達。
断酒朋は、何処にいるかわからない。求めないと見つからない。もし、見つけることが出来て、会って話すことが出来たなら、それはそれは、とても貴重な存在である。
私は、このブログ、更にはオフ会を通して、そのような断酒朋との出会いが、数多くあった。日本全国に、何人もの断酒朋がいる。
男性でも女性でも、年上でも年下でも、かつて飲んだくれていて、自分で気付いて酒を断ち、今も飲んでいない、たったこれだけの共通点があるだけで、レアで貴重な断酒朋なのだ。
過去の問題飲酒を、包み隠さず話せる相手と言うのは、断酒朋以外にはいないと思う。話すと辛かった心が軽くなるし、相手の話を聞くと、自分だけではなかったのだと、妙に心が落ち着く。
酒を断ってからの経過日数が短い人もいれば、数年になる人もいるので、それぞれの酒なし生活の快適度は違うわけだ。
会って話す時、断酒の期間が短い人は、自分より長い人にアドバイスを受けることが出来る。逆に、長い人は、短い人に、自分の経験を語ることが出来る。
これが、断酒朋の良い所だと思う。
飲み友達は、酒を飲むときだけ集まり、皆でラリッて盛り上がるだけの存在だが、断酒朋は、いつだって心がつながっている。離れていても、いつだってツーカーで話が出来る。
私が、五十路に突入してから、これだけ多くの友人・知人に恵まれたのは、断酒したからである。酒を断っていなかったら、これらの方々との出会いは無かった。
これからも、酒を断ち続け、ブログを書き続け、断酒朋との交流を続けて行けるのが、とても楽しいことだし、ワクワクする。
まだまだ、日本全国に、更には世界中に断酒朋を増やして行きたい。
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