youtubeで釣りの動画を見ているとき、ビールのCMが流れた。
以前なら、ウザイ!と、頭に血が上ったものだが、今では他のCM同様、ただ見過ごす。
そう言えば、昨日の祭りでは、自分の酒に対する感情が、思いのほか恬淡としていた。もはや、酒など自分にとってはどうでも良い存在なのだな~と改めて感じた。
酒への思いだが、飲んだくれていた頃は恋焦がれ、酒を断ってからは大嫌いになり、そして今は、風化してしまった。
好きとか嫌いとかの感情は、対象物がそれそのものとして自分の心に存在しているからこそ湧くのだろう。私の心には、酒の居場所が無くなったようだ。
執着心も、長い年月を掛けて風化するものだと知った。
但し、決して風化させてはいけないことがある。それは、断酒の決意である。これを忘れてはいけない。日々断酒を決意したときのことを思い出し、決意の鮮度を保たなければならない。
私の場合は、こうして毎日断酒のブログを書く時に、否が応でも、断酒を決意した、あの日のことを鮮明に思い出す。こうして毎日、断酒の決意は、私の心の中で更新されているので、いつも新鮮だ。
風化して良いものいけないものをまとめると、こうだ。
酒への思いは風化したほうが良い。
断酒の決意は風化してはいけない。
単純明快である。酒なんぞへの思いやこだわりは、風化してしまうのが良い。ある意味、枯れてしまうのが良い。
けれども、断酒の決意は、少しでも変化させてはいけない。形や色を変えてはいけない。その決断によって今があるわけだから。
断酒して3年経ったころ、ブログのネタも無くなっていたし、もはやブログを書かなくても酒なんぞ不要だし、このまま酒無し生活を続ける自信もあるので、ブログを書くのを卒業しようかと本気で考えたことがある。
そろそろ断酒ブログ界からフェードアウトしようかなと。
但し、その頃は既に、読者の方との精神的なつながりが出来ていたし、断酒のブログを書き続けて酒を断ち続けているのを日々見ているかみさんから、ブログをやめてはいけないと言われたのもあって、こうして書き続けている。
書くことは、何かしらあるものだ。これまで、書けなかったことがないことで、それは証明されている。
私にとって風化してはいけないものは、断酒の決意ともう一つ、断酒への思いである。断酒を自分だけのものにしたくない。もっともっと断酒の良さを多くの人に伝えたい。
なので、まだまだ書き続けて行こう。
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