日差しもそこそこあって、暖かい日だった。
大地震が起こったトルコ・シリアでは、正に今でも救出活動の最中で、厳寒の中で大変な様子がニュース映像から伝わって来る。
地震国であるわが国日本でも、いつ何どき同じような地震が起きてもおかしくない。気を引き締めて、遠い国からの映像を見守っている。
さて、ある報道記事で、マスクを見かけない米国と題して、ニューヨークでは、マスク着用義務は全て無くなり、着用されているのは医療機関と老人ホームだけだそうだ。
翻ってわが国日本は、実にヘンだ。屋内や電車内では、マスクをしてほしいとの要請があるので分かるが、外を歩く時でさえ、誰もが当たり前にマスクをしている。
繁華街ならまだしも、川沿いを散歩する人もマスクをしているのには首を傾げてしまう。そろそろ花粉症の時期なので、スギ花粉にアレルギーのある人ならば別だけれども。
私は、マスクをするようにとの要請がある電車や公共機関、お店などでは着用するけれど、外ではマスクはしない。私のような考えで行動する人は少数派のようで、外でマスクを着用していない人はあまり見かけない。
丸でマスクをしていない人は非国民であるかのような目で睨まれることも、度々あって、私はそれに恐怖を感じている。だからと言ってそのような同調圧力には屈しないけれど。
この同調圧力は、飲酒にもあることを、かつての経験で思い出した。
皆酒を飲むのに、お前は何故飲まない?皆と同じように酒を飲め!のような、圧力だ。これに屈して、一人浮かないように、好きでもない酒を飲んでいる人もいるのではないだろうか。
マスク着用に関しての同調圧力から、飲酒にも似たようなことがあることが想起されたので、書いてみた次第。
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