日曜日の今日、久しぶりのウォーキングイベントに夫婦で参加して来た。
『高麗峠を越えて巾着田の「鍋祭り」を楽しもう』
スタートは雨の飯能駅。
傘を差して、人通りのまばらな道をゆっくりと歩く。
時おり車が、道路脇に出来た水たまりの上を通過する時に、バシャッと泥水をこちらに浴びせて行く。
「うわっ!」と叫びながら避けたり、久しぶりの雨中ウォークも楽しい。
途中から雨が上がり、曇り空になった。
巾着田の鍋祭り会場では、各種の鍋の露店の他に、踊りのイベントも行われており、とても賑やかだった。
高麗駅への帰路、高麗郷古民家へ立ち寄り、飾られている各種のお雛様を観賞して来た。
酒は売られていたのかどうか、記憶にない。全く気にしていなかったので。
7年前の断酒初年度の頃、このようなお祭りに何度か来た時は、酒を飲みたくて困ったものだ。
たぶん断酒1年を経過した頃からか、酒を飲まない生活が安定し、あまりにも快適なので、知り合いの飲んだくれに断酒を勧めたくなったことがある。
ある程度の期間(人によって異なるけれど、概ね半年から一年くらい)断酒が継続すると、他の人に断酒を勧めたくなる。
あれだけ飲んだくれていた自分が、酒をこんなに長く断って、とても快適である。何だか自分てスゴイなぁ。
順調に断酒が進むと、誰しもきっとこのような時期を迎えるはずだ。自分の断酒は一先ず落ち着き、この快適さを周囲の飲んだくれに伝えたい。
でも、これは、私の経験からも言えるし、あの有名なアレン・カー氏の本にもあるけれど、人に断酒を勧めても意味が無いので、やらない方が良いことは確か。
人に断酒を勧めたくなって来たら、自分の断酒も良い方向に進んでおり、進歩が見られると言うことの、指標にすることが出来る。
そして、他の飲んだくれに断酒を勧めるのではなくて、断酒して快適な生活を送っている自分を、飲んだくれ共にわざとらしく見せつけてやるのがよろしいと思う。
大体、飲んだくれ共は大酒を飲んではやらかしているわけで、二日酔いとか、何か失くしたとか、転んで怪我をしたとか、身体のどこかが悪いとか、酒の悪影響ばかりの人生のはず。
そこへ、颯爽と、酒を断った奴が現れて、元気いっぱいに振る舞えば、おもしろいことになる。
まあ、懲りない面々の飲んだくれ共は、そういうあなたに、酒を飲め飲めとしつこく勧めるかもしれないけれど(笑)
『断酒をば 勧めるなかれ 無意味なり 飲まぬ自分を 見せつけるべし』
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