ブルブルと震えるくらいの、雨模様の寒い日だった。
電車は寒ければ暖房してくれるものだが、今の時期、コロナ対策でどの車両も窓開けがされている。
夏は冷房、冬は暖房が行き届き、私にとってはいつの時期も快適な電車だが、この空間も、コロナによって様変わりしてしまった。
そして今日も、巷では、コロナ、コロナ、コロナ・・・
スピーカーからは「新型コロナウィルス感染症」が、連呼されている。耳にタコどころか、聞き飽きて、もう、耳がコロナと言う感じである。
ところが明日は、今日の気温から一気に10度以上暖かくなるとのことだ。
今年は、冬なのに暑かったり、春なのに寒かったり、気温の急激な変化が多い。言葉を変えると、季節にブレがあり過ぎる。
ブレと言えば、昨日の記事へのいぷさむさんからのコメントの中に、
「 断酒7年の人の言葉の中にかすかにでも不安が垣間見えると」
との言葉があった。
今の私には、基本的に飲酒欲求はゼロだし、酒への未練もない。全く飲みたくない。これは、本当のこと。
自分を疑っているのは、過去に酒を飲んで心地よく酔っ払った記憶が脳に刻まれているので、これを消すことは出来ないからである。
今でも日々、自分の断酒に対して、ほんの少しのブレが生じている。
このブレは、断酒当初、かなり大きなものだった。そのブレによって、自分の身体が物理的に揺れるほどに大きなものだった。
ブログを書きながら、その日のブレはその日に修正し、己の断酒の軌道を真っすぐにして来たのだと思う。
「自分はもう絶対に大丈夫。」とか「断酒なんてちょろい。」とか「酒なんてもう飲むわけがない。」とか、豪語する人ほど、実はアブナイ。
「何年経っても自信が無い。」とか「今日も危なかった。」とか「酒への未練が消えなくてヤバイ。」とか、感じて危機意識を常に持っている人のほうが、安全である。
人間であるから、メトロノームのように、断酒へ向き合う心は日々右に左にブレるのである。そのブレを修正することが、日々の断酒なのだと思う。
これは、何年何十年酒を断っていても、日々同じことの繰り返しだろう。
心のブレは、何も断酒に対してだけ生ずるのではなくて、いやそれよりも寧ろ、人生全般について、大いにブレるのではないだろうか。
飲酒へと走る心の変調は、心が人生への懐疑へと最大限にブレた時に生ずる。
なので、一日断酒とは、その日に己の心のブレ(変調)を修正し、引き戻す作業なのである。
もうひとつ、ブレとは、車のハンドルの遊びのようなもので、必要であると言える。遊びも無くガチガチの心では、生きて行くのが辛過ぎる。
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