日中は曇天で、風があったが、雨は落ちて来なかった。
夕方から、パラパラと降り出して、風は更に強くなった。
上昇した湿度は、ベタベタジトジトした空気を身体にまとわりつかせる。
猫たちは、リビングの床に、ペタリと張り付くように横になっている。
風があっても、全身が毛で覆われた猫たちには暑くてかにゃわん⁈
夜になって、迷わず、エアコンを除湿運転した。
そんな中、スマホのSNSを見ていたら、名古屋のある断酒仲間が所用で上京し、東京の断酒仲間のぽるぱるぺるさんのお店でランチを食べたとのこと。
予てから私たちの間でうまいと評判だった、黒酢の酢豚を食べてみたそうだ。とても美味かったと、報告してくれた。
酒を断った私たち仲間の間では、些細なことが、感動のタネになる。
この花が綺麗だとか、あそこの料理がうまいとか、こんなケーキを食べたけどうまかったとか、素直に感動したものを写真付きで報告し合ったりしている。
それぞれが、飲んだくれ時代であれば、一日の締めくくりは飲酒であって、つまりは酒が生き甲斐だった人間だ。
酒を断てば、男女関係なく、些細な日常のひとコマに感動するようになる。
今までずっと身近にあったのに、酒で隠されていて気付かなかったものが、沢山あるのだ。
自分が生きていることそのものが、実は感動に値することなのだが、毎日酒を飲んで酔っ払っていると、全く気付かない。
致命的な病気を患っていて、酒どころではない人にしてみれば、飲んだくれ共は、健康でどこも悪くないのに、酒を過剰に飲んでわざと自分を不健康に持って行こうとしているわけだ。
酒を断って暫くの期間が過ぎて、ハタと正気に返ると、それまでの酒を飲みたいのを我慢していた気持ちは消え去り、自分が如何に無謀な飲酒をしていたかに気付き、愕然とする。
飲酒によって、自分を全くの無防備な状態に陥れ、いつ人生から転落してもおかしくないような生活を送っていたことを後悔する。
それらの思いを踏まえて、酒を断った後の、今の生活そのものに感動し、更に、身近なものや事に感動するのだ。
酒を断つと、感性が戻って来て、磨きがかかる。このことは、実際に酒を断ってみて分かること。
酒を断つ、断酒することは、飲んだくれ人間にとっては、それまでの自分から脱皮出来る唯一の手段である。
断酒して、先ずは、酒を断っている自分に感動してみよう。
期間は、3日でも1週間でもひと月でも良いのだ。
これだけ酒を飲んでいない自分は、スゴイな!って。
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