今朝、妻と話したこと。
妻:「去年は、戸隠でお蕎麦食べたんだよね~」
のみすけ:「梅雨の晴れ間で、一日晴れてて、暑かったね・・・」
妻:「あのお蕎麦はうまかったね~」
の:「また行こうや!」
(かみさん、妻、家内、奥さん、その他色んな呼び方を当ブログではしているが、その時々に応じて、と言うより、気分で使い分けているだけ😅そう言えば、女房ってのは使わないなあ・・・)
昨年の7月1日は、妻と二人、信州の戸隠で蕎麦を食べていたのだった。
本当にあっという間の一年だったなあ。
この日のブログにも書いたけれど、今日は私たち夫婦の結婚記念日だ。
7年前のあの日に断酒していなければ、今日の記念日は無かったことだろう。
酒を飲み続けた別の私がいる、別の次元の宇宙では、既に私はこの世にいないか、生きていても、離婚しているだろう。一人寂しく酒をかっ喰らっていることだろう。
そう考えると、鳥肌が立つ。この年になって、一人で生きて行く自信がない。先を考えると、淋し過ぎる。
私の断酒を喜んでいるのは、家族の中でも妻が一番だろうと思う。
飲んだくれ時代、私だけが毎晩大酒を飲み、勝手に出来上がって、吐いてしまったり、トイレに籠城したり、外で飲んでは終電で終点まで行ってしまってタクシーで帰って来たり、やらかしてばかり。
そんなことの後始末を、妻は黙々としてくれていたのだから。
断酒してから、7年と4カ月弱の間、当たり前に酒なしで生きて来た。日々の酒に関することとしては、このブログを書くのとオフ会だけだった。
記念日と言えば、私の場合、家族の誕生日、結婚記念日、そして私が断酒を開始した、断酒記念日。
どれも、私にとっては大事な記念日だ。
因みに、2年後の結婚記念日は、銀婚式を祝うことになる。
『晩婚さんいらっしゃい!』だった私たちが、ここまでの途中、危機を感じたのは私の酒であり、それを救ったのは私の断酒だった。
先ず大丈夫と安心はしているけれど、気が緩んで、何かのきっかけで大酒飲みに戻る可能性だってゼロではない。ここのところが、脳がアルコールを憶えている、酒を飲まないアル中の怖いところだ。
酒を飲み続けるアル中と、酒を飲まないアル中の共通点は、脳がアルコールの薬理作用を記憶していること。
こうして、毎夜酒の怖さと断酒の良さを綴るブログで、私は己を戒めている。
タイトルの「いとおかし」は、古語では「いとをかし」で、意味合い的には、大いなる感動を覚えると言ったところだ。
『酒忘れ 記念日祝う いとおかし』
⇒酒なんぞ全く忘れて、今日の結婚記念日を祝うことに、大いなる感動を覚える。
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