酔っ払いが増えて来た。
国が緊急事態宣言を出して、外出の自粛を呼び掛けていた頃は、街から消えていたのだが。
酔っ払いの歩みは千鳥足だが、本人はまっすぐに歩いている積もりだ。
そんなことを考えながら聖書を読んでいて、目に留まったのが、次の個所だ。
『愚か者には自分の歩みがまっすぐに見える。
しかし、知恵のある者は忠告を聞き入れる。』
(箴言12章15節・新改訳2017聖書)
酔っ払いは、愚か者である。
いや、そんなことはない!と言う人がいたら、問い返したい。
ならば、酔っ払いは、賢者なのか?と。
普段どんなに賢者の人でも聖者の人でも、大酒を飲めばへべれけに酔っ払って、愚か者即ち愚者に成り下がるのだ。
愚者である酔っ払いは自分が真っすぐに歩いていると思っている。
賢者でなくても、普通の人がその歩みを見れば、ヨレヨレと千鳥足であることが明白だ。
知恵のある者は忠告を聞き入れる、とあるけれど、余程の人でない限り、他人からの忠告は聞き入れない。それが例え家族であってもだ。
私も知恵のある者になりたいと、日々努力しているが、いつなれることやら。
知恵のある者ではなかった私だが、酒を断ったのは、自分の内部から起こった忠告を聞き入れた結果だった。
断酒を決意した瞬間のことだが、他人の声ではなくて、自分の心の中に、もう一人の自分からの忠告が聞こえた。
「これ以上酒を飲み続けたら、もうお前は生きて行けない。酒を断つしかない。」
私は、この忠告を聞き入れ、即時に断酒を決意し、実行した。その日から、私の歩みはまっすぐになった(ような気がする)。
あなたの歩みはまっすぐか。
千鳥足で歩いていないか。
知恵あるものになるように努力するには、酒を飲んでいたらダメ。酒を断ち、日々まっすぐに歩くことから始めよう。
知恵ある賢者になるのは、中々に大変で、一生かけてもなれないかもしれないが、努力して賢者に近付くことは出来る。
それに比べて、愚者になるのは、なんとまあ簡単なことか。日々大酒を喰らえば良いのだ。誰でも愚者になれる。
酒を断って賢者を目指すか、酒を飲み続けて愚者になるのか。
自分の飲酒はヤバイなと感じている飲んだくれは、酒を断って賢者を目指し、自分の歩みがまっすぐに見える飲んだくれは酒を飲み続けて愚者となる。
私は、目指す賢者には一生かかってもなれないと思うが、少なくとも愚者からは脱しつつある(ような気がしている)。
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