今日は平日だが、コロナの調整休で休みのかみさんと、2月以来となるウォーキングのイベントに参加して来た。
集合は、西武球場前駅だ。
子供が小さい頃、プロ野球の試合を観戦に来たり、また、更にここからレオライナーと言う電車に乗り換えて、西武遊園地に行ったりしたものだ。
今日は、参加するともらえるポイントを入れてもらってから、フリーの散策だった。
雨の予報なので傘を持って行ったけれど、ほとんど使わなかった。私たち夫婦は、晴れ男晴れ女の上を行く、晴れ夫婦⁈なのか、オフ会にしても旅行にしても、夫婦で行くと雨予報でも大抵は晴れる。
今日、参加したイベントは、本格的なウォーキングには程遠い、ちょこっと足慣らし程度のものだったが、きっと楽しい思い出のひとつになる。こんな風に、断酒以来、楽しい思い出が残るようになった。
思い出を話題にするなら、断酒に関連するそれは、断然悲しいものだろう。楽しい思い出を抱いて断酒する人はいない。断酒は、悲しいからするもの。
一昨日のブログに書いた、私がとても啓発されたブログを読んでみたい方は、連絡下さればURLをお伝えする件に、シュレーディンガーの猫さんからコンタクトがあった。
それで、お伝えしたのだが、この方は、断酒するにあたって、飲んだくれ時代にとても悲しい事件を経験されている。
正に、今日のタイトルの、断酒は悲しい思い出と共に、である。
私自身もそうだが、私がこれまでにオフ会等で実際に会って、話を伺った方の多くが、飲酒時代の悲しい出来事を胸に秘めておられる。
死のうとした、それを子供に言って止められた、幼稚園保育園の送迎時に飲酒をしていた、子供が傷つくことを言ってしまった、暴れて交番に連れて行かれ一晩そこで過ごした、医療関係の仕事を酔っ払ってしていた、仕事中トイレに行ってはちびちび酒を飲んでいた・・・
他にももっと悲惨な経験を聞いている。
断酒仲間は皆、それぞれに、悲しい思い出と共に断酒を継続している。
朗報は、断酒を始めれば、そして苦しくてもそれを継続すれば、以後は楽しい思い出が増えて来ること。
断酒は悲しい思い出と共にするのだが、一方で、断酒は楽しい思い出をもたらしてくれる。
断酒前(即ち飲酒時代)は悲しい思い出が多いかもしれないが、断酒後は、楽しい思い出が積み重なることだろう。
私も思い返してみると、断酒してからは、飲酒時代のような後悔はほぼないし、もちろん酒を飲んでいないから、酒が原因の悲しい思いもしていない。
過去を変えることは出来ないが、過去を土台にして、未来を築くことは出来る。
他人を変えることは出来ないが、過去を反省して、自分を変えることは出来る。
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