本当に11月下旬なの?
と、疑ってしまうほどの、気温の高い日だった。東京は日中24℃くらいまで上がった。
この暑さについて、息子と会話したのだが、このまま気象変動が続くと、冬が無くなってしまうのではないかと。
世界的にも、春夏秋冬の四季がはっきりとしていて、あの枕草子にも、
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは~
夏は夜。月の頃はさらなり。~
秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、~
冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。~
とあるように、それぞれの季節の特徴があって、何れもとても日本人には当たり前だったのに。
さて今日は、息子が教えてくれた、この忘年会絡みの記事。
「お父さん、この記事だけどさ、そこまでして酒を飲む会にこだわるって、一体どう言う感覚なの?病的だよね?」
今年は、約9割の企業が忘年会をやらないそうだ。でも残り1割はやるわけで。
コロナ禍での飲み会についての、アドバイスの記事も出ていた。
それらを読んで思ったのは、これらのアドバイスは、素面の時に読んでなるほどそうしようとなるだろうが、酔ってしまえば忘れてしまうことだろうと。
飲酒運転によく似ている。
酒を飲む前には、飲酒運転をしてはいけない、と知っているのに、飲んで酔ってしまえば、飲酒運転しても大丈夫!自分だけはOK!になってしまう。
飲み会でも、酔っ払ってしまえば、口角泡を飛ばして、大声で喋るだろうし、酔っ払い同士の距離は限りなく近づく。ソーシャルディスタンスだの、飛沫感染だの、そんなことは綺麗さっぱりと、アルコールでどこかへ飛んでしまっている。
手はアルコールで消毒しても、脳に入れたアルコールで、体内を汚染している。
脳に侵入したアルコールに操られ、あっちへふらふら、こっちへふらふらしながら、飲み歩き、帰宅した頃には、自分が一体どこで誰とどんな風に酒を飲んだのかなど、全く覚えてやしないのが、酔っぱらい。
コロナ禍にあっても、酔っ払いは厳然として存在しており、その数は減るどころか増えているような様相である。
私自身は断酒してから、忘年会はおろか一切の飲み会に出なくなったので、今年の飲み会の減少を言われても、あまりピンと来ない。
集まって酒を飲んで、集団でラリって何が楽しいのか分からないが、それでも忘年会をやる人は、集まることだろう。
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