一日中、曇天で肌寒かった。北国ならば、雪がちらついたことだろう。
そろそろブログを綴ろうか、と言う頃、私の部屋に微かな煙草臭が漂って来た。
隣家にヘビースモーカーがおり、台所の換気扇下で喫煙しているのだ。それが共用廊下へ排気され、私の部屋のサッシの隙間や、換気口から逆流してくる。
マンションの規約では、ベランダ喫煙は禁止されているが、専有部である台所の換気扇下の喫煙は自由だ。
(くさい!また、吸ってやがる!)
頭に来るのもあるが、どんなに値上がりしても、周囲に迷惑を掛けても、自分の肺を汚染しても、喫煙を止められない隣家の住人を、私はとても哀れに感じた。
私は、タバコから救われて久しい。最後に喫煙をしてから、もう15年近く過ぎている。
そんなことを考えていたら、新約聖書のかの有名なフレーズが浮かんだ。
過去にも取り上げているが、奇しくも、断酒初年度の本日と同月同日に書いていた。
上記の過去ブログでは、文語体の聖書から引用しているので、今日は口語体のものを引用してみる。
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。
いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そしてそれを見出す者はわずかです。(マタイの福音書第7章13,14節:新改訳2017聖書)
禁煙の門も狭い。が、昔の喫煙人口に比べると、タバコを日常的に吸わない人がかなり増えた。
断酒の門は、禁煙の門以上に狭い。これを見出す人は、飲酒人口が多い中で、かなりの少数派だろう。
断酒に至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことだろうか。これを見出すものはわずかである。
でも、断酒の門を見出すなら、人は救われるのだ。私も酒から救われた。
喫煙から救われるには、禁煙する他ないのと全く同じで、酒から救われるには、断酒以外には無い。
断酒の門から入りなさい。飲んだくれに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのだ。
もし、あなたがまだ飲酒をだらだらと続けているなら、是非とも断酒の門を見出して、酒から救われてほしい。
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