師走に入ったかと思ったら、もうその三分の一が過ぎようとしている。
時の過ぎ行く速さは、年齢を重ねれば重ねるほど、加速していることを身に染みて感じる。
朝が来れば、あっと言う間に夜を迎え、元旦が来れば、あっと言う間に大晦日。そんなような印象の日々が、目まぐるしく飛び去って行く。
この調子で、私の人生もあっという間に終焉を迎えるのだろうか。飲んだくれたままならば、このようなことは考えもしなかっただろう。
自分の周りの時間が如何に早く過ぎようとも、自分自身は、何事ものんびりとゆっくりと執り行うことにしている。
年を取ればとるほど、慌てて何かすることが危険になって来る。身体が、反応しない。なので「急いては事を仕損じる」ことを念頭に、ゆったりと構えて動くように心掛けている。
例えば、点滅の始まった横断歩道を急いで渡る、発車ベルの鳴り響く電車に飛び乗る、カンカンカンカン鳴り始めた踏切を渡ること。全て、老年には危険。(尤も、これらのことは若年にも危険ではあるが。)
生来のそそっかしさがあるので、若い頃から私は、なんでもないことで、うっかりしては失敗することが多かった。
その失敗は更に、酒によって増幅されることが、私の過去の経験で分かっている。飲酒によって、それはそれは穏やかならぬ日々が私の目の前に続いていた。
断酒前の、酒に踊らされた不穏な日々は、今現在の穏やかな日常からは考えられない。
あまり波風の立たない穏やかな日々は、どうしたら手に入るのだろうか。
答えはいとも簡単で、飲酒を捨てれば、手に入る。
飲酒を捨てるとは、習慣としての飲酒をやめ、更には機会飲酒さえもやめる。完全に酒を断つこと。
酒を離れ、酒から身を引くと、酒絡みの諸々が我が身から消え去る。これまで酒がもたらした一切のことが、自分から消えて無くなる。
毎朝が爽やかで、毎日が穏やかな日々。
前日酒を飲み過ぎて、朝から不快で、一日中二日酔いで過ごした日を思い出してみよう。
飲酒を懐に大事に入れたままの日々と、飲酒を捨て去った日々と、全く対照的ではないか。
私がこうして日々淡々とブログを綴ることが出来るのも、飲酒を捨てたればこそである。
感情の起伏の少ない、穏やかな日々は、心身の健康にもとても良い影響を及ぼしている。
これは何度も書いていることだが、起床時に、すっきりとした頭で、前夜の記憶が鮮明で、すっと起き上がることが出来るのが、とても気持ちが良い。
穏やかな日常は、朝から始まる。
飲酒を自分の人生から捨ててみよう。それによって、穏やかな日々が手に入る。
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