今日も、暖かい日だった。桜が咲いていてもおかしくないような。
でも明日はまた寒くなるそうなので、春はまだ先なのかな。
家族は皆出かけ、猫二匹と私は、留守番をしていた。
かつての飲んだくれ時代の私であれば、このシチュエーションは、飲酒には最適で、昼間から飲んでいたことであろう。
休日で、家族はおらず、誰にも文句を言われずに(猫は文句言わないし⁈)、昼間から飲んで酔うことが出来るなんて、酔いどれには最高の時間ではないか。
今こうしてブログを綴っているからこそ、そのようなことも浮かぶが、日中は酒のことなど露ほども頭に浮かばなかった。
日々正直に自分の気持ちをブログに吐き出しているわけだが、今の私は、「飲酒」にも「断酒」にも、興味を失っていることが分かる。このことは、自分には何だかとても不思議だ。
「興味」とは、goo辞書によれば・・・
1 その物事が感じさせるおもむき。おもしろみ。興。
2 ある対象に対する特別の関心。
3 心理学で、ある対象を価値あるものとして、主観的に選択しようとする心的傾向。教育学では、学習の動機付けの一つ。
飲酒はともかくとして、断酒にはこれまでおもしろみを見出し、特別の関心を持ち、価値あるものとして主観的に選択して来た。
自分の心から、酒そのものが消失しつつあることが、飲酒、断酒への興味をも失せさせる要因なのだろう。
断酒開始以来、私が辿って来た心理的な変遷は、これまで書き続けて来た過去のブログに表白されている。
人間、変われば変わるものだと、つくづく思う。
ヘビースモーカーだった自分が、今では極めて微細なタバコの煙でも、耐えられない。
酒に人生を捧げたような飲んだくれだった自分が、今では全く酒のことを忘れている。
そして昨日も書いたけれど、最近では更に甘いものからも遠ざかりつつある。
自戒を込めて書いておくけれど、酒(飲酒、断酒)への興味が失せたからと言って、自分の病(アルコール依存症)が不治であり、一瞬で再発することは、自覚している。
人間の心は、特に何かを断つ場合の人間の心は、良い方向へ導いてやると、断つ対象物への興味が失せる、つまり未練が無くなる。
断酒への興味は失せても、このブログは書き続け、後続する断酒人へ、メッセージを送り続ける。
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