朝は冷えたが、良く晴れて日中はぐんぐん気温が上がった。
我が家の猫たちは、リビングの日当たりの良いところで仰向けになって、ごろんごろん転がっていた。
私も、猫の横で横になり、日に当たった。
あ~気持ちが良い・・・と、感じたのも束の間、8年前の実家全焼の第一報を受けた時のことを思い出した。
当時猫はいなかったが、リビングに差し込む太陽の光に当たりながらごろごろして、「気持ちがいいなあ」と呟いているところに、兄から電話が来たのだった。
それからは、もう大変だ。取るものも取りあえず、東京駅へと向かい、新幹線に飛び乗ったことを憶えている。
この時ほど時間の流れが遅く感じたことは無かった。早く実家へ行きたいのに、先ずは東京駅へ出るまでがとても長く感じられ、飛び乗った新幹線も、そのスピードが遅く感じられた。
時間とは不思議なもので、誰にでも平等に与えられてはいるが、長く感じたり短く感じたり。
例えば断酒後だと、この先の酒無し生活が途轍もなく長く不安に感じられるが、何年か経って振り返ると、断酒してから今までがあっという間に過ぎたようにも感じられる。
時間の進むスピードは変わらないのに。
それで、ふとした空き時間のことを「暇」と称し、その時間を無駄に過ごすことを「暇潰し」などと表現する。
時間は有限で、人間に与えられた時間はとても貴重なのだが、置かれた環境、状況によって、同じ人間であっても、随分と時間への感じ方が異なるものだ。
今日の午前中、猫たちとゆるりと過ごした時間は、とてもゆっくりと流れたように感じた。
私は昔から「暇潰し」なる言葉は大嫌いだ。先ほども書いたけれど、人間に与えられた時間は決して無限ではなくて、生まれてから死ぬまでの僅か数十万時間に過ぎない。
「暇潰し」が嫌いなことは、以前に書いている。
この貴重な時間を飲酒で過ごして「暇潰し」をする人がいると思うが、何とまあ無駄で無意味な時間の過ごし方をしているのだろう。
酒で潰してしまった時間は、二日酔いなどで、更に輪を掛けて翌日をも潰してしまうわけで。
空いた時間、浮いた時間は「暇」ではなくて、貴重な人生のひとコマなのだ。酒でトリップしてしまうのは、貴重な時間をドブに捨てているようなものだ。
このことは、断酒してみないと分からないことでもあるので、とても厄介である。
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