晴れて寒かった。
我が家の周辺では、今、梅が満開を迎えている。そして、河津桜がぼちぼち咲き始めた。
段々と3月に近付いて、桜のほころぶ季節へ向かい、時は淡々と過ぎて行く。アルコールで脳を害されることが無いので、日々の生活で自然からのメッセージを受け取ることが出来る。
例えば、歩いている道の、足元のアスファルトの裂け目に根を張って、懸命に小さな花を咲かせている植物が、私の目に入る。何か語り掛けて来る。
「春だよ。どんなところでだって、こうして咲くことが出来るんだよ。」とでも言っていたのかな~、あの植物は。何という名だったのかな。
酒を断つことが、これほどに自分を変えるとは思ってもみなかった。
連日、酒に害された人々の巻き起こす事件の報道が、イヤでも目に入る。最近だと、深夜に酔っ払って道路で寝ていた大学生が、車に轢かれて亡くなった。
加害者の男性が、後から交番に出頭したそうだが、まさか道路に人が横たわっているとは思いもしなかっただろうし、避けるのも難しかったのではないか。
酒は人の運命をいとも簡単に捻じ曲げてしまう。
この酒の害悪に気付いた人が断酒人(だんしゅびと)になる。以前は断酒er(だんしゃー)の呼称が気に入っていたが、最近は断酒人のほうがしっくり来る。
断酒人は、それぞれの事情があって、断酒を決意したのだろう。
その酒を飲まない生活を継続するのに、必要なものは何だろうか。
断酒のやり方?
断酒の方法?
断酒の理論?
断酒の考え方?
断酒の効用?
これらはみな、断酒の理屈なのかな。滔々とこれらについて解説する人もいるし、それらを参考にする人もいる。
私は、これらよりも断酒に効果的なのは、同じ志を持つ断酒仲間だと思う。
四国のお遍路さんの笠や衣装や持ち物に「同行二人」と書かれている。これは、一人で歩いていても、弘法大師様がいつも一緒と言う意味だ。キリスト教ならば、いつもイエス様が一緒と言うことになるのかな。
このような感じで、断酒仲間が一人でもいれば、自分の断酒は一人ではなくて、同行二人なのだ。
これまでオフ会などで知り合った仲間に聞いた話では、周囲には断酒仲間がひとりもいないと言う方ばかりだった。
私の周囲にもいないが、このブログがきっかけで、いつでも連絡が取れて気軽に話すことの出来る多くの断酒仲間と知り合うことが出来た。
断酒の友は、一度知り合うと、一生の付き合いになる。お互いに生きている間は切磋琢磨し、断酒を磨いてゆくわけだから。
コロナ禍の中、なかなかオフ会も開けぬので、近いうちに昨年のZOOM忘年会のような、ZOOMでのオフ会を企画しようと考えている。
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