良い天気&気温が上昇し、暖かい、と言うか汗ばむくらいだった。
休日で晴れた日の午前中、私は地場の野菜を求めて自転車で近隣を回ることが多い。
今日も行ってみた。だが今は端境期なのか、あまり旬の野菜が並んでいない。結構長い間楽しませてくれた大根、白菜、ブロッコリーも旬の主役が終わったようだ。
今日買って来たのは、ホウレンソウ、小さな白菜、水菜。
我が家の野菜は、ほぼ地産地消。旬の野菜は地場で買うと安くてうまい。
さて、2月ももう下旬だ。この時期になると、どうしても、私の断酒の引き金になった実家の焼失と母親の焼死が鮮明に思い出される。
その日まで、毎日能天気に深酒をしていた私は、その出来事によって、更に危険な飲酒へと足を踏み入れた。
母親の死が悲しすぎて、それを忘れるため、酒量が増した。自分でもこのような飲み方は危険ではないかと薄々と認識はしつつ、日々遣る瀬無くて、酒に逃げていたのだった。
家族も、そんな私をどうすることも出来ず、放任していた。何を言ったところで、当時の私の行動が変わるわけでもないことを十分にわかっていたからだろう。
私の飲酒が危険水域を遥かに越えて、断酒に至る事件が起きるまで、母の死から数週間だった。その事件をきっかけにして突然酒を断ち、暫くの間襲い来る飲酒欲求に苦しんだ経緯は、初期の頃のブログに詳しい。
昨日まで浴びるほどに好きなだけ酒を飲んでいた人が、今日から酒を断てば、ほぼ百%に近い確率で、誰でも酒を飲めないことに苦しむ。
ここで、私が言いたいのは、その苦しみは、酒をやめたから起きた苦しみではないと。その苦しみは、酒を飲んでいたから、なのである。
もう一度繰り返すと、酒を断って暫くの間襲われる苦しみの原因は・・・
酒をやめたから、ではない。
酒を飲んでいたから、である。
同じことだろう?って?
いやいや、違う。
酒を飲んでいた頃が当たり前の日常だったので、酒をやめてしまうことで起こる身体の異常に戸惑うのだ。
酒を飲んでいたことが異常であったわけだが、それが普通のことで、酒を断ったことが異常であるかのように、脳が認識し訴えているから、苦しく感ずるのである。
何を言いたいのか。
酒をやめて飲まなくなったことが正常な生活で、酒を飲んでいたことが異常な生活だったこと。今の苦しみは、やめた酒のせいではないこと。
このことを理解出来ると、断酒に取り組む心は軽くなる。
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