先日の千葉の八街での、ヨッパライによる児童殺傷事故。
その後も、毎日、飲酒運転事故が報道されている。
私自身が、酒の悪魔的な魅力に30年以上も囚われていたので、良く分かるのだが、飲んだくれは酒に酔うことが使命。
酒に酔うにはどうすればいいのか。買って来て飲むだけ。あまりにもお手軽過ぎるのだが、たったこれだけ。この危険な飲み物が、大人であれば誰でも、好きなだけ飲んで良いのである。
これだけ危険な飲み物が、あまりにも気軽に飲めてしまう。これは日本だけではなくて、世界中で同じこと。
断酒してから、酒を飲むなら覚悟を持って、心して飲め!と心底思うようになった。酒を飲むことによるあらゆるリスクを想定し、それでも自分には飲む意味があるというなら、心して飲めば良い。
私には、酒を飲むことによって自分に降りかかるリスクが、あまりにも巨大であまりにも数が多くて、とてもではないが覚悟など出来ない。
スーパーなどで、大量の酒を買い物カゴに入れてレジに並ぶ人を見ると、唖然としてしまう。あれだけの酒を買い込んで飲んだら、まあ、一時に飲むわけではないだろうけれど、それにしても・・・
酒類の販売を規制してほしいし、こんなにも手軽に酒を買えること自体を、そうは出来ないように何かルールを作ってほしいものだが、このことに関してはこれまでも、これからも、国は決して手を入れないだろう。
国だけではない。大麻や覚せい剤ならば、やいのやいの目の色を変えて騒ぐマスコミの、酒に対する報道姿勢を見てみよ。酒自体への批判など出来るわけがない。そんなことをしたら、酒類の業界から入ってくるものが失われてしまうのだから。
だから、酒そのものではなく、酒を飲んだ人をコテンパンにやっつけているのだ。
酒に関しては、行政も動かぬ、マスコミも正しい情報を流さぬ。
だからこそ、溢れかえる酒類の中で生活せざるを得ない私たちの、酒に対する意識改革が必要になるのだ。酒類を決して甘く見てはいけないし、酒類に心を許してないけない。
飲めば自分を地獄に陥れ、これから先の人生をいとも容易く奪って行く、それが酒なのだ。
酒が気軽に飲める限り、飲酒事故は無くならない。なので、これからも飲酒が原因の事件・事故は、ずっと起こり続けることだろう。
飲めば自分が加害者になるし、飲まなくても自分が被害者になる。酒とは恐ろしい飲み物だ。飲んで酔ってしまえば、後先が分からずにしでかすことの数々は、全て酒の成せる悪行。
気軽に酒を飲む人から距離を置き、なるべく酒の成せる悪行から自分を守りたいものだ。
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