たまたま読み始めた本の第一章の、しかも始めから数ページのところに、私のブログに関連することが書かれていた。
著者は、以前にも紹介したことのある、クリスチャン作家の三浦綾子氏。エッセイ集である。
『丘の上の邂逅(三浦綾子著/小学館)』
著者の弟が、交通事故に遭った時のことが書かれている。彼はその夜、同僚と酒を飲み、その同僚が自転車で帰ろうとするのを心配し、ハイヤーを呼ぶために外へ出て、事故に遭った。
酒に酔ってふらついていたからだろう。すぐに救急車で運ばれた先の病院で受けた緊急手術では、アルコールが全身を駆け巡っている為、なかなか出血が止まらなかったそうだ。
この短いエッセイの終わりに、著者は、酒を飲む人へ優しく断酒を勧めている。
「読者の周囲に、酒を好む方がいるならば、たとえその酒が愉快な酒であり、人に迷惑をかけない酒であっても、やはりやめるにこしたことは無いと思う。」
「あの時酒を飲んでいなかったなら、というできごとに、毎日必ず誰かが遭っているのである。反対に、あの時酒さえ飲んでいたら、こんな目に遭わなかったということは先ずありえないのである。」
私も全く同感であり、酒を飲んだことに対しての後悔は当たり前に有れども、酒を飲まなかったことに対しての後悔は無いと断言できる。
私の断酒も、あんなに酒を飲まなければこんなことにはならなかったのに、との後悔がきっかけで始まったもの。
人生の中で、あの時酒さえ飲んでいれば、今の私はもっと輝いていただろうに、などは、絶対に有り得ない思考である。酒さえ飲んでいなければ、はこれまで一体何億人の人の後悔であったことだろうか。
酒の害悪に気付いた人だけが、己を断酒へと進めることが出来るのも、また真理。であるので、ただ酒を毎日しこたま飲む人に、私は断酒を勧めることは無い。全く無意味であるから。
このことには、これまで何度も言及して来た。
酒を飲んだ後悔と、酒を飲まなかった後悔。あなたは、どちらの後悔をより多く抱えているだろうか。後者の後悔の方が多い方がいらっしゃるなら、是非とも連絡を頂きたい。
酒を飲んだ後悔が、これから先の自分の人生を押し潰そうとしていることに気付いた人は、断酒を求める。これから先の自分の人生の好転を目指すには、酒をやめる他に道がないのだから。
自分の行動(断酒)を後押ししてくれるものを求めて、人はネットで断酒の情報を探すのではないだろうか。
どうか、今日私が書いた文章が、酒を断ちたい、酒を断たねば、との思いに駆られて、自らの意志で断酒へと歩を進めている人の目に触れることを願う。
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