酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

自分の経験と他人の経験(断酒8年143日目)

 炎天下の表通りを歩いていると、サウナの中にいるような錯覚に陥った。

 ただの「暑い」を超えて、このまま歩くのは「危険」ではないかと、午前中から感じた。日傘が欲しいとも思った。

 

 さて、先日紹介した、クリスチャン作家の三浦綾子氏のエッセイ集、 

『丘の上の邂逅(三浦綾子著/小学館)』

をまだ読んでいるのだが、その中の「経験重視の危険」と題したエッセイが、今日は私にとても大事なことを教えてくれた。

 

 「わたしも、それは体験しましたけれどね・・・」

 「わたしの経験からいうと、そうは言えないと思います」

 

 冒頭、著者は、このように自分の体験や経験に頼りすぎることは危険だと、書いている。

 そのようなことの証左として、ある女性からの身の上話について、自分と彼女との性格の違いに触れている。こんな感じだ。

 

 その女性は兄弟姉妹が多く、家が貧しかったので一度も自分用の新しい服を買ってもらったことがなく、いつも姉のお下がりだったと嘆いた。が、著者も同様の経験があるので、一向にこの女性の話には同情を覚えないし、寧ろ甘ったれていると感じた。

 

 だが、ここで著者がはっとしたのは、お下がりを着て育った経験は共通かも知れぬが、これは著者と彼女との共通の経験と言えるのか?と。同じ経験はこの世には無いのではないかと。

 

 著者と彼女との経験は、似ているが違う。何が違うかと言うと、経験した人の性格や生き方が違う。なので、同じ経験をしたとは言えない。

 

 著者は生来、服装には無頓着。彼女は生来、着ることに執着があるのかもしれない。こう考えると、著者が彼女に対して、何を甘えているのか、とか、愚痴っぽいとか、嘲ってはいけないと思ったそうだ。

 

 もうひとつ、貴重な話が載せられている。

 

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 ある人が東京の電車で見た光景。

 椅子に座っている人が、自分の前に立っている人に、

「〇〇という駅は、何番目の駅ですか」と、ひどくどもりながら、尋ねた。

 尋ねられた人は、何も答えずに、そこを去り、場所を移してしまった。

 それを見ていた別の人が、その答えずに去った人のところへ行き、なぜあなたは、どもりながら一生懸命に尋ねた人にあんなに不親切なのかと、難詰した。

 難詰されたその人は、ひどくどもりながら、次のような内容を回答した。

 「自分もひどいどもりなので、私が答えたら、あの人はどもりの真似をされたと思い、ひどく傷ついたでしょう。自分もひどいどもりなのでよくわかります。答えないことよりも、答えたほうがひどく傷つけると思い、無言で立ち去ったのです」

 

 難詰した人からすれば、自分ならば流暢に親切に答えてあげるのに、なぜこの人はそうしないのかと、自分の経験からだけ考えたから、憤慨したのかもしれない。

 

 本の紹介が長くなってしまったが、私が日々書いている断酒に関するあれこれも、飽くまでも私の経験に基づいているわけで、自分が出来たから、出来ているから、他の人も同じく出来ると考えてはいけないことを、三浦綾子氏のエッセイから学んだ。

 

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