蝉の声はほぼ聞こえなくなった、と昨日書いたが、訂正する。
今日歩いた場所では、ミンミンゼミ、ツクツクボウシがまだ鳴いていた。夏の名残りがそこここに居座っている。
8年と半年、こうして酒を飲まない生活を続けていると、最早飲酒など私の中ではダサ過ぎてお話にならん。
酒=アルコール=薬物=毒なので、微量の酒でも身体に良くないと、これまで主張して来た。確かにそれもあるけれど、毒の前に、飲酒習慣そのものがみっともないと言うか、ダサい。
我が家の酒を飲まない20代の若者たちは、酒を飲んで酔っ払っている人々を見ると、とても哀れに感じるそうだ。
「お酒飲まなきゃ、明るくなれないのかな?お酒がないと騒げないのかな?」
飲酒が人生の中で最大の愉快なことである人は、飲酒より愉快なことが世の中にあることを知らないし、知ろうともしない。薬物アルコールの魔力は、酒にハマった人を捉えて離さない。一生飲酒と共に生きるように仕組まれている。
このことは、能動的に断酒をしてみないと分からない。
酒など遠ざけて、素面でいる日常のほうが遥かに愉快なのである。飲酒によって全身にアルコールが駆け巡る状態は、想像するだに恐ろしい。
断酒後数年のかつての私は、いつもほろ酔い程度の飲酒ならば、実害も無く、身体にも良い影響があるのではないかと考えていた。
いつもほろ酔い程度で納まる程度に飲酒量をコントロール出来るなら、断酒の必要も無いと考えていた。
今では、その考えも古くなってしまった。ほろ酔いであろうと微酔であろうと、脳にアルコールが回って快感を感じているわけで、薬物による麻酔効果に過ぎない。
飲酒より愉快なことを実践しているならば、その人に酒は不要である。日常が酒無しで楽しいならば、最早飲酒の必要など無い。
昨日書いたトレーニングや、散歩、ジョギングなど身体を動かすことだったり、没頭出来る趣味だったり、親しい友人と過ごす時間だったり、懐いているペットの世話だったり、人それぞれに愉快なことがある。
飲酒しか楽しみが無かった人が、いきなり断酒すれば、暫くの間、頭の中は酒が占領し、酒の事ばかり思うことだろう。何しろ、切ない状態である。
このような時、無理やりにでも、自分にとって愉快なことを、探し工夫してみるのが良い。
はっきり言って、飲酒ほどダサいことは無い。飲酒とは即ち、薬物接種する行為である。
別に頑張らなくても、自然と飲酒より愉快なことが見つかるはずだ。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)