晴れて、秋らしい一日であった。
予報では肌寒いとのことだったが、丸で当たらず、半袖でも暑かった。
まだまだこの先、夏日がありそうな気配。先日、やっと秋らしくなって、もう夏日はやって来ないと感じたのになあ。
毎日、酒及び飲酒について、あーでもないこーでもないと書き連ねて、ここまで来た。私は自分が酒を飲んでいたので、飲まなくなった自分を信用していない。また飲むことは絶対に無い、家族にそう約束したいが、出来ない。
もう一度酒を飲みたいとは、毛ほども思っていないのに、また酒を飲むことが絶対にない、とはっきりと表明出来ないもどかしさ。
私が断酒ブログを書くのに、毎夜呻吟していることを、かみさんは知っている。ボケ防止のために、まだまだ書き続けなさい、と励ましてくれる。
(でも、かみさんは私のブログを読んだことが一度も無い🤣が、一度だけかみさんがこのブログに寄稿したことがある・・・)
かみさん、長男、長女、私。この中で、飲酒に一番危ういのは自分だけ。
かみさんは、飲めない体質で、酒との間には、渡れないほど幅が広く底の深い谷間が厳然と存在している。息子もその遺伝で全く酒は飲めず、娘は人生の最初から酒を排除している。
飲めない人は、全く酒に興味が無く、従って、人生を酒に振り回されることも皆無だ。世の中のほぼ100%を占める、酒飲み共とは一線を画している。
このように全く酒を飲まない人間ながら、かみさんは、のんべーのママ友たちからときおりお声の掛かる飲み会に関しては、ニコニコしていそいそと出かけてゆく。
酒を全く飲めないかみさんにも、飲酒文化はある。飲める人以上に、飲み会が好きで、行く度に、何かしら学んで来ている。
酒を飲めない体質で、酒などに全く興味がない人を、かみさん以外に数人知っている。皆、男性である。その人たちは口を揃えて、酒に全く興味がないと言う。
そして、酒席に於いてその人たちはとても明るく、存在感を増している。
これが、酒を飲めない人の飲酒文化なのだろうか。
今日書きたいのは、酒を飲めないことなど、人生に於いて大したことではない、と。寧ろ、酒を断ったことにより、残りの人生の生き方の選択肢が増えたのだと言うこと。
私は、今では酒席に呼ばれることは無いし、自分がアルコールを伴う会食を主催することも無い。
ここまでの過渡期、どうしても出なければいけない酒席では、料理を楽しみつつ、飲んだくれ共が酔っ払って行く過程を観察し、酒の怖さ・麻薬性を己の頭に再認識させていた。
酒を飲まないと、頭脳は冷静であり、いつも本来の自分でいられる。
断酒万歳ではないか。
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