曇天で気温はまさに10月。過ごしやすい一日だった。
明日からは、寒くさえなるようだ。やっと、真の秋がやって来た。
新型コロナウィルス感染症の陽性判明者の数が減り続け、非常事態宣言等も解除され、巷の飲酒事情は、平時に戻りつつある。
昨日の夕方、17時半過ぎのこと、私の利用する最寄り駅で、私と同世代くらいのヨッパライ二人組を見かけた。
足元がふらつき、呂律が回っていないが、聞き取れた言葉は、
「次は、どこで飲む?」と、
「〇〇へは、こっちか?あっちのホームか?」
だった。
こんな早い時間に、ほぼ泥酔状態になっている。一体どこで飲んで来たのだろう。老境に達して、尚もここまで酒を飲み酔っ払う。明朝はきっと酷い二日酔いに悩まされ、正気に戻った時に、更に自分のしでかした失態に唖然茫然とすることは必至。
私は、自分と同世代の、その白髪の二人の男性をまじまじと見つめてしまった。自分が飲酒を続けていたら、きっと眼前の彼らのようであっただろうと。
幸いにして、こうした光景すら自分の断酒の肥しに出来るくらい、私は今断酒にハマっている。
飲酒事情が平時に戻りつつある今、街で見かけるヨッパライの姿も、往時の勢いを取り戻しつつある。
酒を飲まないかみさんや息子が、電車で酔っ払いを多く見かけるようになったと、ここのところ、とても迷惑そうである。
世の中の飲酒事情が平時に戻れば戻るほど、自分は断酒していて本当に良かったなと、感ずる。断酒にハマればこそ、世の飲酒事情に左右されないのである。
飲酒文化が隆盛しようと、衰退しようと、私はそれの外にいるので、無関係である。
昨今、断酒の方法ややり方や考え方が、様々なメディアで頻りに喧伝されている。一見どれもなるほどと思わされるが、何か物足りない。
発信者は、思い付いた断酒の方法などを盛んに出すけれど、その内にネタ切れを起こす。
何が不足しているのだろう。と考えてみたら、あまりにも単純なことに気付いた。
それは、断酒は人から100%学べるものではなく、自分で工夫して掴み取るものであること。やり方は各自が自分の為に自分専用に自分に合ったものを編み出す必要があること。他人から学べるのは、断酒の素晴らしさだけ。
断酒にハマるには、自分なりの工夫が必要である。
私は、ブログ初日にこう書いて、そのとおりにして来た。
『一人では必ずや、なんだかんだと理由をつけて、飲酒を再開してしまいそうなので、ここに、断酒継続を誓い、日々、その日記を記そうと思います。』
これが、結果的に、私が断酒にハマることになる一番大きな理由となったのである。
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