冷たい雨の降る一日だった。
上空の気温がもっと低ければ、雪になったことだろう。
昨日、福岡で65歳の医師の男が、飲酒運転で事故を起こした。路肩に駐車していた車に衝突し、乗っていた親子に怪我を負わせた。
福岡での飲酒運転事故で、いつも思い出されるのは、2006年の、親子5人の乗った車が、飲酒運転の車に追突されて橋から落下し、3児が死亡した事故だ。
2006年から16年も経過したが、懲りもせず、飲酒運転は日常茶飯事の如くに繰り返されている。あの悲惨な飲酒運転事故のあった福岡でさえ、酒を飲んでの車の運転は減ってはいないようだ。
飲酒すること自体が、あまりにも手軽で、その行為自体に罪の意識の欠片もないわけで、更には、身体にアルコールが入った時点で、脳が正常な思考を停止してしまうからだ。
今日も、アルコール禍の犠牲になった、加害者・被害者は沢山存在する。飲酒運転ばかりではなくて、あらゆる酒害は、全て飲酒から生ずる。
あまりにも軽すぎる、飲酒なる行為が、加害者にとっても被害者にとっても、取り返しのつかない、人生に於いての重すぎる結果をもたらす。
ふわふわと空中を漂う鳥の羽毛のように軽いものが、巨大な岩石を空から落としたような衝撃の原因となると言うことだ。
飲酒は、ことの後先を考えぬ軽佻浮薄な行為である。酔った結果として、何が起こるか分からない。大抵の場合、何も起こらないので、飲酒を繰り返すことになる。が、いざ何かが起きた時、既に取り返しはつかないことが多い。
大人なら誰でもいつでも購入が可能で、それをすぐに飲むこともOKの酒。しかしその中に入っている主成分は、人間を丸で別の性格に変えてしまうほどの威力を持つ薬物アルコール。
薬物アルコールが主成分の酒なる飲料は、その害悪を巧妙に隠蔽し、大人ならば当たり前に飲むものとして、堂々と世の中に流通している。酒がもたらす社会的害悪、損失は、タバコよりも悪質だと思うが、悪者にされているのは、タバコだけだ。
酒を造る側、流通させる側としては、ごく気軽に飲んでもらわねば困る。何も考えずに、ごくごくと飲んでもらうように仕向けて来る。酒を断ってから、その点がとても良く分かるようになった。
自分が30年以上に渡って飲み続けた酒の本質。それは人間を誑かし、貶める魔の飲料であること。
こうして毎晩、飲酒の恐ろしさを綴り続けることにより暴露し、飲酒する人に断酒に気付いてもらいたいと願っている。
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