本格的な冬に突入し、寒い日が続いている。
二日前に干した大根は、もう立派な切り干し大根になった。乾燥した空気と冬の太陽光が、あの瑞々しい大根を、干からびた切り干しにしてくれる。私はただ細めの千切りにして網に干しただけ。
毎年この時期、つまり、クリスマスを目前にした今頃になると、街のあちこちで、色んな飾りや音楽で、盛り上がって来る。
クリスマス・ツリーが飾られ、クリスマスにちなんだ音楽が流され、街角の木々にはイルミネーションが輝き、その日に向けてクリスマス・ケーキが売られ。更には、クリスマス・イブの日は、恋人と過ごすとか?
けれどもクリスマスは浮かれ騒ぎ、はたまた単なるイベントと化している。本来は、イエス・キリストの誕生を祝うものなのに、そのどこからも、イエス・キリストに関して伺い知ることは出来ない。唯一、教会へ行くと分かるかもしれないけれど。
私の子供のころからそうだったが、何だかわけもわからず、クリスマスの時期になると、サンタクロースなる赤白の衣装をまとった謎のおじさんが出て来て、子供たちにプレゼントをくれるとか、ケーキを食べるとか、ツリーを飾るとか、わけのわからぬお祭り騒ぎが常態化していた。
その日に向けて、プレゼントやらケーキ屋らを売りたい、商業主義が大衆を操っているだけのような。大人になってから私は悟ったのだが。
12月24日までは賑やかで、なぜか12月25日になるともう、クリスマスはそっちのけで、大晦日へと世の中が切り替わってしまっている。
まあこれ、ハロウィーンも同じかな。かぼちゃのお化けが出て来て、仮装して練り歩くみたいな。日本ではいつからか海外の真似をして。秋田のなまはげのほうが親しみがあるかな(笑)
イエス・キリストの誕生を祝ったかと思えば、1週間後の大みそかには除夜の鐘を聞きつつ、神社仏閣に二年参りに詣でたり、元旦以降に初詣に行ってみたり。
節操が無いというか、昔から日本人はこうなのだが。
良いとか悪いとかではなくて、取り留めもなく、そんなことを思っただけ。
こんなことを思い書いてみたこの私も、聖書を学ぶ今は全く行かないけれども、数年前まではクリスマスも初詣も秩父34か所観音巡りもしていた。我ながら節操が無かった。
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