166日目の『ダンシュはシュダン』で書いたことの再確認。
断酒が目的だとしたら、その先には何もない。【祝!断酒!】ハイッ!ゴール!
これだと、燃え尽きて、やることがなく、また飲んでしまう、きっと。しかも、勘違いしやすいのが、実は、断酒には、ゴールがないのだ。100日やめたから、ゴールとか、10年やめたからゴール、ということが、ありえない。断酒は、一生もの。
夢とか希望とかやりたいこと、やってみたいこと、それらに取り組むのに、飲酒習慣が邪魔だなという事で、する断酒なら、その先がある。
一段ずつ昇る階段を、左足、右足、って進めて行くときに、酔っ払ってふらついたり、よろけて後退してしまったり、なかなか進まない。その原因が飲酒だと気付いて、酒を断つ。
なーんだ。酔わなければ、一段一段踏みしめて、昇れるじゃないか!
と、『ダンシュはシュダン』で、こういうことを言いたかった。
断酒が目的だと、階段を昇り詰めた先に、断酒神社があるだけで、参拝して終わりかな。でも、本当は、昇り詰めた先というのが、勘違いなのだが。断酒の階段は、どこまでもどこまでも、自分の人生の終わりまで続いているのだ。
でも、断酒そのものを目的と勘違いしていると。下手すると、せっかくある程度昇ってきたのに、降りて、また飲酒することになる。断酒に終わりはないので、目的にしてはいけない。あくまでも、手段にすぎない。
何でもいいから、飲酒時代には出来なかったこと、やってみたいことを、思いっきりやるのがいいと思うなあ。
私は、朝の単独スロージョギング、夜のかみさんとのウォーキング、子供との勉強、お菓子作り(まだ一度だけ!)、自然の写真撮影、Twitterなど始めてみたけど、楽しいねー。。。あー、このブログを書くことも、飲酒時代には考えられないことだ。
天気のいい日に遥かかなたを見ると、山が見える、ビルが見える、雲が見える。あーあの山の向こうに、あのビルの先に、あの雲の上に、なにがあるんだろう?って考えるだけでワクワクしてくる。
酔っ払い時代には、とても考えられなかった、新鮮な感情。酒をやめると、ちょっぴり子供時代に戻れるようだ。
子供のころやっていた、魚釣りも、やりたいことの候補だ。まー、何を始めるにしても、今まで使っていた酒代と時間を持ってすれば、何でも出来る(かな)!
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