今日の記事を入れないで、あと137回更新すると、所期の目標の断酒ブログ満願365日だ。
そもそも、なぜ365日という目標を設定したのか。私にはかなり難しいであろう断酒を継続するためだった。
飲酒はいとも簡単に31年も継続できたのだが、断酒の継続は、やったことことがないから、日々ブログに書いて、先ずは丸1年、との意志からだった。毎日かかさず酒を飲むことは出来ても、毎日飲まずにいた事を、ブログに書くことが出来るのか?と、己の意志への挑戦状だった。
一日一記事とはいえ、書くという作業自体は左程苦にならぬが、毎日だと、書く内容が枯渇してくる。同じことの繰り返し。実は、このブログ、淡々と日々更新しているように見えるかもしれないが、最近、かなり継続に弱気なのだ。
(”弱気”←また酒を飲みたくなってきたという意味ではなく、ブログの継続にってこと)
帰宅して、息子に、「パパ、もう、今はお酒をやめることが出来ているし、そろそろ、断酒のブログをやめようと思う。毎日書くのは、キツイ」と、弱音を漏らしたら、
「はぁ?何言ってるの?ダメだよ!自分で365日続けるって最初に決めたんだから、守りなよ!お酒やめるのとブログとセットなんでしょ!」と、大層な勢いで叱られてしまった(泣)
その後、懇々と、子供から親に、自分の初志を貫くことの重要性を説明された。オイオイ!逆だろ!と思いつつ、(ん?なんか、昔、息子が野球を途中でやめそうになったときに、自分がエラそうに説教した内容に酷似しているなー)と聞いていた。
私は勝手な都合を並べて、途中で放り投げるのが得意なんだよなー。ブログもこんなことでやめたら、飲酒も、理由をつけて再開してしまうのではないかと、息子は危惧してくれたようだ。
老いては子に従え、とは、このことかな?
何れにしろ、酒を断っている状態を、墓に入るまで続けることが重要だ。自分で決めたことを守れず、断酒も守れるわけないネ。たはは(+_+;)、情けねぇ~(泣)
私に残された人生の時間は、事故にも合わず、健康に長生きしたとしても、あと20年かそこいらだろう。もう、十分酒は飲んだ。一生分飲みきった。十分に酔った、どころか十二分に泥酔した。酔っていいことはひとつも無かった。だから、残りの人生、しゃきっとシラフ親父からシラフ爺さんへと坦々と淡々と進み、最期を迎えようと思っている。
ここで、己の最終目標を歌に詠んでみた。
『断酒にて 我が身と心 磨き上げ 見事飾らん 有終の美を』
理想は、子どもたちが私の遺骸が横たわる棺桶を見下ろして、「いいおやじだったねー」って送ってもらうことだな。
(ということで、お騒がせしましたが、今までのように、まだまだ更新を続けます。。。)
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