今日は、何を書こうかな。日中、こういうことを書きたいな、って浮かぶ時が、一番楽だ。もう、ほぼ書けたようなもの。
ブログの編集画面を開いても、中々書くことが浮かばない日もある。内容が定まらないから、タイトルも考えつかない。今日が、そうだ。でも、書き出してみた...
酒を飲んでも飲まなくても、同じように時は流れ、私の目の前を飛び去って行く。
この地球上に生きている人間(だけでなく全ての動植物)に、与えられた有限の時間。どう使って、どう生きようと、その生命体の自由だが。
ずっと前からだが、このブログを更新しようかと、画面を開ける度に、あー、もう、一日終わろうとしている。時間の経つのがなんとまあ早いのだろう、としみじみ感ずる。
断酒ブログなので、酒のことばかり書くが、もし私がまだ飲んだくれ生活をしていたと仮定する。
私:『あのな、昨日の晩だけど、オレ、どうしちゃったんかな?』
妻:『はぁ?全然覚えてないの?』
私:『ん~』
妻:『信じられないことしてくれたんだよ!』
子1:『そうだよ!なんだよ、普段はエラそうなこと言ってるくせに!』
子2:『パパって、バカすぎるね、あんなにお酒飲んでさ』
私:(やっべぇー・・・何も覚えてない。オレ、何をやらかしたんだろう)
このぐらいで済めばいいが、たぶん、もっと酒量が増えて、更に依存症が進んでいた可能性が高い。断酒直前の頃は、母親の死や、その他心労が重なり、それまでの酒量をかなりオーバーしていたから。
今ある姿・状態は、過去の自分が望んだものなのだそうだ。私は、僅か8か月前の過去に、今の飲まない自分を思い描いて、断酒した。ブログを読み返すと、かなり凄まじい己との闘いが、繰り広げられたことが分かる。但し、そんな日々も、過ぎ去ると、なぜか、懐かしい。
今日が、明日には過去になる。今、思い返すと、ある出来事をきっかけに、荒療治ではあったが、あの日、断酒を思い立ち、実行して良かったと、心の底から思う。あの日時にやめていなければ...んー...ゾッとする。
そういう意味では、昨日も今日も明日も、同じように酒を飲んで、同じように管を巻いて、同じように酔っ払っていたら、例え何年経とうとも、それが自分の望んだ姿ということになるから、結局は、飲んだくれのままなんだねー。
私は、自分のそういう姿を嫌い、飲まない自分を望んだ。どういう手段でやめるにしても、先ずは、自分が断酒を望むか、どうか、明日からすると、過去の今日の自分が決めることだ。
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