病的なまでの飲酒習慣は、ある意味でカルト宗教に似ている。
一度ハマってしまうと、中々抜けることが出来ないところ。
家族や周囲の人が見ると、明らかにヘンなのに、本人だけはそれを認めないところ。
普通の生活が出来なくなるケースが多いところ。
まずは、言葉の定義から。
飲酒教:酒を毎日ノマザルヲエナイ人が自動的に入信している。
断酒教:飲酒教を止めた人が入る。教義は、酒を飲まない。これだけ。
飲酒教徒(飲酒教の信者)の定義は簡単。酒なしではいられない人。いつも酒のことが頭にある人。(因みに、誰でも彼でも酒を飲んでいる人が飲酒教の信者ではない。適正飲酒できている人は、飲酒教とは無関係であり、もちろん信者でもない)
人は皆オギャーと生まれてから、小学校~高校くらいまでは、酒は大人が飲む、特別な飲み物と思っている。(中には、育った環境によって、十代の早い時期に飲み始める人もいるようだが)
酒を造っている人々や、それを売って商売している人々、それに、下らぬ飲酒文化を常識と思っている輩などが、罠を張り、虎視眈々と、法的に酒を飲むことが出来る年齢に達した若者を囲い込むために、待ち構えている。
次から次へと、酒飲みの世代交代を図らないと、造っている業界と売っている業界は干上がるし、下らぬ飲酒文化を連綿と続けようとしている輩は、大好きな酒の場が無くなるので、若者のノンベー化への取り組みに必死だ。
無垢な若者は、マスコミやTVCMで垂れ流されている、格好いい大人は酒を飲む、みたいなイメージの宣伝に、子供の頃から洗脳されている。なので、進学した先の大学や、就職した先の企業などで、いとも簡単にアルコールに汚染されてしまう。あー、人生に不要で有害なものの洗礼を受け、中にはそのまま飲酒教徒の仲間入りをしてしまう者もいる。
これ、カルト宗教の布教活動みたいな感じだな。大衆の飲酒が当たり前になってからの年月を考えると、活動期間からしても、飲酒教というのは大した歴史を持たない。にも関わらず、かなり強力な教義で人を取り込む。取り込んだら、離さない。
酒を飲むと、別世界にトリップ出来て、気持ちがいいことに気付き、それが習慣化すると、抜けられなくなり、一部の人は入信してしまう。アルコール飲料の、麻薬のような働きの虜になってしまう。そこが、一番怖いところだ。
それだけではなく、長い年月、沢山の酒を飲み続けると、身体のあちこちがアルコールによって傷めつけられ、内臓疾患や脳の変性を起こす。そこに至るまでには、かなりの量のアルコールが身体に入り、肝臓のフル稼働が続くことだろう。想像するだに、恐ろしい。一度飲酒教に取り込まれると、抜け出すことにかなりのエネルギーが必要となる。
今年の3月半ばを以って、私は飲酒教をめでたく脱退し、断酒教に入った。途中、何度も、飲酒教の教義の飲酒発作が起きたが、なんとか堪えて、今は爽やかで軽やかな日常を送っている。
酒を好きなだけ飲んでいいということで、いとも簡単に信者になることが出来る飲酒教は、これからも廃れることはないだろう。かなり強大な勢力を誇っているからね。それに比べ、断酒教は、大好きだった酒を飲んでいけないという教義なので、かなり窮屈であり困難である。
私は、飲酒教には決して戻りたくないので、これからも、断酒教の唯一の教義であるところの『酒を飲まない』を実践して行く。
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