同じ《酒》でも、頭に《飲》が付けば、酒を飲むこと、《断》が付けば、酒を断つこと。(《禁》が付けば酒を禁ずることだが、ここでは触れない)
飲みたいけど、断つ。断っているけど、飲みたい。
好きだけど、別れる。別れているけど、好き。
好きなら一緒に居ればいいものを。。。いやいや、一緒にいると、害が及ぶので、別れなければならないのだ、と、別れつつも、心は惹かれたまま。心の中が矛盾している。これが、断酒だ。
昨日は飲酒習慣という《不思議》なことを記事にしたが、今書いてきたことも《不思議》だ。
事程左様に悩みの種となる酒は、実は《嗜好品》に分類されている。
《嗜好品》というのは、ちょっと調べて見ると。。。
[栄養をとるためではなく、その人の好みによって風味や味、摂取時の心身の高揚感など、味覚や臭覚を味わい楽しむために飲食される食品・飲料や喫煙物のことである。茶・コーヒー・酒・炭酸飲料、煙草など。]
朝・昼・晩と食べる、生命維持の為の食事と違い、茶、コーヒー、酒、煙草は、無くても困りはしないが、有ったほうが生活が潤うということなのかな。
今は、情報過多の時代で、何でも調べればすぐに分かるし、手に入れようと思えば、ネットの通販で、宅配までしてくれる。○○という、幻の酒が、限定10本だとか、△△という国から直輸入の酒が今なら、こんな価格で!というような刺激的なキャッチコピーがすぐに見つかる。必要事項を入力して、ポンと注文確定のクリックをすれば、早ければ当日中とか、翌日には配達される。
この便利さが、酒との距離を縮め過ぎている。
本当は、酒は嗜好品などではない。茶、コーヒー、炭酸飲料、煙草などと同列に分類されているのはヘンだ。摂取時の心身の高揚感のみを求めて、嗜好品であったはずの酒を、主食のように摂取するようになるのは、一体どういうことなのだろう。
と、考えれば考えるほど、結局、摩訶不思議な飲酒の世界に浸かってしまうので、やめておこう。
但し、この矛盾は、断酒してからの時の経過と共に、段々と解消され、別に飲みたくもないので不飲酒、というところへ落ち着くようだ。私は、ほぼそんな感じになってきた。
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ところで、断酒と花粉症の人体実験結果が出たので、ここに報告。
結論!花粉症には断酒は効果なしだった!
酒を浴びるほど飲んでいた頃と比べ、断酒してアルコールを身体から抜いて一年だと、少しは症状が軽くなるのかと期待したのだが、そうは甘くなかったということ(笑)
現在、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、目の痒みと格闘中。花粉が飛ばなくなるのを待つしかなし。とほほ。。。ハーックション!
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