普段適度に飲んでいる人だって、時に度を越すこともある。
ほろ酔い程度でSTOP出来ればいいのだろうけれど、どんな種類の酒にせよ、飲めば飲むほど量が増え、気付かぬうちに泥酔していることがある。
アルコール依存症の人でなくとも、酒を飲む人は誰だって、常にその危険に晒されている。
4年前のニュースだが、さて、これは、被害者が加害者であり、加害者が被害者であるような記事を見つけた。途中、「・・・」の部分は、私が省略した。
--------------------2010年のYOMIURI ONLINE(読売新聞)より↓↓↓
酒に酔いつぶれ、路上に寝込むなどした人の死亡交通事故が県内で多発している。
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さいたま市大宮区内の路上で、タクシーが酒に酔って寝ていた会社社長(61)をひいたのは10月21日午前3時過ぎ。運転していたのは、勤務歴38年のベテラン運転手(58)だった。
大宮署によると、現場は幅5メートルに満たない市道で、横断歩道の上。運転手は手前で、「何かある」と気づいたが、まさか人とは思わず、「踏み越えられる」と判断。車を降りて初めて人だと分かったという。
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運転手の男性は、事故を機にタクシー乗務を辞めた。取材に対し、「人通りの少ない深夜の時間帯。プロの運転手でも気づくのは難しい」と振り返る。「自分の不注意のせいで、本当に申し訳ない。路上で寝ることは、歩行者にも運転手にも不幸しかもたらさない」と肩を落とした。
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--------------------2010年のYOMIURI ONLINE(読売新聞)より↑↑↑
飲酒運転による悲惨な事故は、度々報道されるが、この事故では、プロの運転手が、その仕事中、泥酔して路上で寝込んでいる人を轢いた。
報道の中では、加害者はタクシーの運転手、被害者は会社社長となっているが、さて、どうだろうか。38年も運転歴のあるベテラン運転手からしたら、自分が被害者のような気持ちだろう。まさか、こんな真夜中に、路上に人が寝ているとは、思わなかっただろう。
会社社長にしても、自分が真夜中に道路上で寝込むなどと言う事を、その日、酒を飲む前に予想していただろうか。楽しい酒だったのか、悲しい酒だったのかは、分からぬが、結局、その酒が原因となり、あの世へと旅立ってしまった。
報道によれば、この事故の犠牲者は、この社長一人のように感じるが、タクシー運転手も犠牲者であり、それぞれの家族も犠牲者だ。
このように、まかり間違えば、たった1人の泥酔スパイラルに、何人ものシラフの人が巻き込まれ、その人生を、思ってもいなかった方向へと変えられてしまうのだ。あな恐ろしや、酒の飲み過ぎ。
さて、ここで、話題を変えて。。。『欲しがらない若者たち(山岡拓著/日経プレミアシリーズ)』という本の第二章「若年男子は酒よりスイーツへ」いう所に書いてある面白い話の続きを。
通過儀礼(イニシエーション)の消失が問題なのだと、複数の大手酒類メーカーが口を揃えて指摘しているそうな。曰く...
『お酒は最初からおいしいわけではない。今や立派な酒好きとなった人でも、最初は年長者に飲みに連れていかれて、洗礼を受けるように飲酒を重ねてきた。そして徐々においしさを覚えた人が多いはず。そうした大人への階段がなくなりつつあるのではないか』
そうか。なるほど。マズイものをちょっとずつ無理して飲んでいるうちに、味に慣れてきて、なお且つ、アルコールの魔力に吸い寄せられるようになってしまうわけだな。しかし、酒を飲むことが、なぜ「大人への階段」なのか、理解に苦しむ。飲み過ぎてやめられなくなっている人からすれば、寧ろ、酒をやめて飲まない生活を送ることの方が、「大人への階段」だと思うが。
2007年に実施した、「大人の菓子消費動向調査」という全国調査では、20代に限ると、男性の甘党比率は、40%と目立って高く、20代女性の42%と、それほど変わらないのだそうだ。
あまり、甘いものばかり食べるのもどうかと思うけれど、どう考えても、酒害に比べたら、甘いもののほうが害は少ないだろう、きっと。
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