タイトルは、コメントを下さるfumiyoさんのブログに書いてあった言葉を頂いて、私がアレンジした。
fumiyoさんには、文章の使用許諾を頂いた。
=====↓↓↓原文より(一部抜粋)================
光を見るには闇が必要
こうした闇を経験することによって
光を感じることができる
幸せを感じる事ができる・・
=====↑↑↑原文より(一部抜粋)================
今の私にはとてもよく分かる言葉だ。
fumiyoさんの原文には、「闇を経験する」とあるが、敢えて私は、「闇を見た」にしてみた。闇は見えるのか?見えない。しかし、何も見えない空間で、目を開き、見えているものが闇である。
私にとっての闇とは、酒に溺れ、そこに滞留し、もがいていた時代である。
私だけでなく、一度アルコールに溺れ、そこから這い上がった人は皆、右も左も分からぬ闇を経験しているはずだ。正に真っ暗闇であり、漆黒の空間である。我が身が深い泥沼の底に沈んでいる。濁った沼の底へは、太陽の光はこれっぽちも届かない。
ところが、である。
己が病に侵されていることを自覚し、苦しみながらも断酒の海に船出したとき、その暗闇の果てに、微かな光を見る。
最初は、蛍の光くらいの微光であり、乗っている船も、手漕ぎの、いつ沈んでもおかしくはない代物である。その行為は、あたかも微風にさえ消え入りそうなロウソクの炎のようでもあり、実に頼りない。
それでも、遥か彼方に見えている、ほの明かりへと漕ぎ進める内に、光は徐々に強さを増し、船もいつの間にかしっかりした作りの、ちょっとしたエンジン付きのものに変わっている。
航海は決して順風満帆というわけには行かず、晴れてちょうどよい風の吹く日よりも、寧ろ風雨に曝され、雷に撃たれ、吹雪に見舞われ、サメに襲われ、実に過酷な日々を潜り抜けなければならない。
心に秘めたる思いはひとつだけ。「この暗闇から脱出し、光輝く世界へ戻る」
そんな中を、更に進めば、いつの間にか闇よりも、光のほうが勢力を増し、漕いで来た彼方を振り返れば、闇が遠くに見える。そして今や客船となった船には、多くの断酒の同志・仲間が乗っている。
私が、孤独で心もとない断酒を決意し、実行し、ブログを書き始め、数々の悪魔の誘惑を何とか振り払い、今日に至った経緯は、格好良く書くと、上記のようである。
闇を見たからこそ、どんなに微かな光であっても、それにすぐ気が付くし、眩しく感じさえするのだ。しかも、二度とあの真っ暗闇に戻りたいとは思わない。自分の生きる空間は、明るい方が良い。
アルコールに徐々に侵される時、自分を照らす光も少しずつ奪われて行く。周囲の人は気付くが、本人は、最後の光が消えて深く広い闇に埋もれてしまっても、気付かない。ここが、酒浸りになった場合の、一番の恐ろしさだ。
但し、どんな真っ暗闇でも、自分次第で必ずどこかに光を見つけることが出来る。あとは、その光へ向かって、《虚仮の一念》で、ひた走るだけだ!
ここらで、先日撮影した朝顔やら、その他を久々にUP!
ここで、かわいいキノコの写真を!
実は、何でもない道端の大きな古い切株に、ニョキっと、まるで兄弟のように、恋人同士のように、夫婦のように出ていた。
何と、自転車に乗っている時に、ちょっと気になって、行き過ぎて止まり、戻って確認したら、こんなかわいいキノコがいたのだ。
↓これが、その切株。さて、どこに、このかわいいキノコがいるかな・・・
ちょっと見には気付かないと思う。
アップ。やっぱり、かわいい。踊っているようにも見える。
↓正解は、この星の中!
↓ちょっと、娘に頼んで、この楽しそうなキノコに顔を描いてもらったら・・・
こんなにかわいく変身した!
そんなわけで、酒をやめると、こんな小さな自然にも気づくようになる!
因みに、キノコの名前は・・・分かりません!
それでは、また!
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