酒、やめちゃえば!
と、私は、無責任に自信を持って勧める(笑)
普通は、私が誰かに、それまでその人が経験したことのないことを勧めるとしたら、やっぱり責任を感じる。私のひとことがトリガーとなって、その人の人生が変わってしまうかもしれないからである。例えばそれが、お金や時間が掛かったり、身体に負担が生じたりするなら、尚のこと責任を感じる。
でも、酒やめよう!と、酒飲みに勧めるのは、とっても心が楽なのだ。お金は掛からないし、時間は丸々浮くし、毒を身体に入れないことを推奨するのだから、健康的だしね。酒やめたその後の、その人の人生がどうなるか、全然心配しなくていいから。
これが、「毎日大量に酒を飲もう!そうすれば幸せになるよ!」などと言う嘘っぱちを言い触らすとしたら、私は責任を感ずる。喜ぶのは、酒関連業界だけで、多くの人は、金を払って時間も浪費して身体を悪くするわけだからネ。
空気、水、食べ物、排泄、やめちゃうと死んでしまう。人生が終わる。
飲酒、やめちゃうと・・・?なにか不都合でも?
飲みつづけたいが為に、いくらでも不都合なことを羅列することは出来る。昔の私なら10や20は軽く挙げることが出来た。でも、それは全て屁理屈だろう。
飲酒というのは、単なる悪習に染まっているに過ぎないからだ。悪弊と言い換えても同じことか。大人になったら酒を飲むという、作られた常識を、子供のころから刷り込まれ、そのとおり二十歳になったら律儀に飲み出し、アルコールの囚われ人になってしまっただけだ。
良く言われている、休肝日を週に二日は設けた方が良いというのは、何故か?肝臓を休ませる日が週に二日も必要ってなぜ?
飲酒は肝臓を酷使する行為だから、休ませながら働かせなさいと言うこと。つまり、それだけ過酷な飲み物を日々身体に入れているわけである。そこまで身体に負担を掛けて、何故に飲む?
いつも書いているが、生産国・原料・製造法・色・香り・味・種類、それはそれは選り取り見取りの酒だらけアルコール飲料だらけだが、主成分はゼーーーーーンブ同じ、人体には有害な《エタノール》という薬物である。この辺りが、商品としての酒からは、うまいこと隠されている。飲んでいる人はもちろん、それを酒と錯覚しているが、実はそれはエタノールという薬品なのである。
のんべー達は、傍から何を言われようと、
「オレ(ワタシ)は、これを飲んでいる時が、一番幸せなんだ(なのよ)!ほっといて!」
と答える人が100%だろう。かつての私がその一人だったので、確信を持って言える。
不飲酒が当然となった今、つらつらと思うのは、酒を飲むと、薬理作用で脳に麻酔がかかり、気持ちよくなるから、多幸感が現出するのは当たり前だ、ということ。のんべー達は、酒という名の薬を、毎日毎日飽きもせず(飽きるわけないか!)有り難がって飲んでいるわけである。
タバコも酒も、やめちゃっても、ちゃーーーんと生きてるし(私のこと!)、飲まない人生を始めるっていうのも、なかなかどうして、乙なものだ。囚われからの解放感と爽快な日々が待っていることは、確かである。
酒なんてやめちゃえばいいじゃん!人生これからダヨ!
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