アジテート(agitate)とは、扇動すること、ある目的のために活動すること。
私がやっているのは、ブログを通しての、断酒・不飲酒のアジテート(扇動)なのかな、と最近思う。
本当はもっと格好良く、飲酒問題のターミネーター(抹殺者)になりたいけれど、これは無理・・・
ここで、突然、仏教の開祖、釈尊の話になる。
かの釈尊が、菩提樹の下で悟ったあと、自身の悟りの中身は、他の人に説いても理解されないだろうと、最初はその教えを広める気にはならなかったそうだ。この状態を「縁覚」と言う。しかし、釈尊は、その段階に留まらず、鹿野苑へ向かい、かつて一緒に修行した五人の仲間に「初転法輪」と呼ばれる説法を行い、以後、八十歳で入滅するまで、人々を教化して歩かれたそうな。
このような偉大なお方の話を出して、とても恐縮至極である。
私の場合、悟りなどと言う高尚なものではなく、断酒を続けていると、気持ちよく、快適なので、ただ、酒を飲まない生活を広めたいだけである。酒を飲まない生活が当たり前という社会を望むだけだ。
日々ブログで不飲酒を煽っているわけである。
が、不飲酒のアジテーターとしての、これまでの活動実績(?)を顧みると、対面における場合、私の話を聞いて飲酒から不飲酒に移行した人はゼロだ(笑)
たった一人だけ、断酒を試みた人はいるが、何だかんだと理由を付けて、結局元の飲酒生活に戻っている。
ブログでは、どんなに扇動したところで、屁の突っ張りにもならぬと思ったが、それでも、幾人かの方は、この文章がきっかけで、飲酒から断酒へと移られたそうなので、アジテーターとしては、こちらのほうがやり甲斐があるというものだ。
例えば、「アルコール依存症 夫 離婚」と言うキーワードでググって見れば、びっくりするくらいの相談が、あちこちのサイトに出ている。旦那が自分を病気だと認めず、治療を受けない、とか、何度も入退院を繰り返すが、結局酒に溺れ、進展がない、とか。
去年断酒に踏み切っていなかったら、あのまま酒量が増えて、自分のかみさんがyahoo知恵袋とかに、「アルコール依存症の夫と離婚したいのですが・・・」なんて相談を出していたかも知れないと考えると、背筋が寒くなる。
「アルコール依存症 妻 離婚」とすると、今度は逆に、奥さんが酒に溺れてしまい、旦那が離婚を考えているという相談やらサイトやらが沢山ある。
当事者の人は、夫の場合も、妻の場合も、大体、子供がいて、さて、これからの生活をどうしたらいいのだろう、と、迷いに迷っている。
こういった夫婦間のアルコールによるトラブルだけを見ても、酒なんぞ、飲まないに越したことはない、とつくづく思う。飲まなければ、少なくとも、酒にまつわるトラブルは起きないわけだから。
そんなわけで、自分一人が断酒・不飲酒の恩恵にあずかっているだけでなく、断酒して不飲酒生活をエンジョイされている皆さんも《断酒・不飲酒のアジテーター》として活動しよう!世の中が良くなる運動である。
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