酒を飲まずに、酔う。
私がやっている、超健康的な方法。カネもかからず、身体に負担もかからず。私はこれを、エア・ドランクと名付けてみた。下らないけど、こんなことを考えて飲まないでいる生活が楽しい。
これを知られると、酒が売れなくなっちゃうなぁ〜なんて?・・・そんなこた、あるわけないね〜。
どうやれば、酒を飲まずに酔えるって?
それはネ。何でもいいから、酒以外の好きなことに酔えばいいのだ。自分に酔う、自惚(うぬぼ)れだっていい。これだけでいいのだ。ウォーキングでも、ジョギングでも、好きな音楽を聴いている時でもいいし、入浴中でも、通勤の電車の中でも、いつだってどこだって酔うことが出来る。
短歌に仕立ててみよう。
「飲む人も 飲まない人も 酔う心 方(かた)や酒にて こなた無垢(むく)にて」
こんな感じかなー。
無垢とは、難しい言葉だが、私の使った意味は、仏教の用語で、煩悩のけがれを離れて、清浄であること。
何か薬物に頼って今とは別の境地を味わうというのは、結局、それに依存することにつながる。例えそれが合法的に売られている酒であってもである。その薬物無しでは居られなくなる日が来る。薬物依存症である。
酒つまりエタノールの薬物効果で酔うのではなくて、なんでもいいから、好きなことに酔うのが良い。人生に酔う、健康に酔う、かみさんに酔う!?
酒を断って間もない頃は、頭の中に始終酒がチラつき、果ては寝ているときの夢にまで出てきたものだ。断じて飲まぬと思い込めば込むほど、その気持ちとは裏腹に、強烈な飲酒欲求が襲ってくる。
その時、酒なしで、他に酔うものを持っていると、強い。法に触れたり、家族や他人に迷惑をかけたりしないものであれば、何でも良いと思う。そのことに没入し、酔えばいいのだ。
自分の好きなことをしている時は、暫し酒を忘れることが出来、その内に、その酒を忘れている時間が、もっと長くなっていることに気付くだろう。そうなったら、シメシメウシシである。
そうそう、23世紀の未来(ドラえもんより1世紀未来)には、飲料としての酒(アルコール)は既に無い。未来人は、こんな有害なものを飲んではおらず、過去の遺物として、博物館に展示されている。昔の人は、こんなにも毒性の強いものを飲んでいたと書いてあり、アル中の人が一緒に展示されてるそうだ(笑)これは、私の未来予想図である。
今日たまたま書店で手に取ったある本に、こんな言葉が載っていた。正に、至言である。
『人は、そうであるべきと思う自分ではなく、すでにそうである自分を追い求めなければならない』(アルバート・アインシュタイン)
アインシュタイン博士の言葉のとおり、断酒したいなーとか、断酒できればいいなぁーではなくて、私はもう断酒しているし、酒など不要である!という自分を追い求めよう!
コスモスと金木犀。今が旬の金木犀は、芳香を放っており、思わず引き寄せられた。
久しぶりに、VQ1005というトイカメラ(おもちゃのカメラ)で、撮影してみた。ちゃんとしたデジカメと違い、おもちゃのカメラの写真は、妙に味がある。
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