酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

酔いのあとさき(断酒1年202日目)

 もう随分と「酔い」から遠ざかったような気がする。

 

 が、こればかりは、何十年離れていようとも、空きっ腹にグィーーーッと飲めば、一気に距離は縮まり、ほぼ一瞬でその感覚は蘇えるはず。

 

 飲酒すれば酔う確率は100%である!フォーナイン99.99%ではなくて、純度100%の酔っ払いが出現する。あな恐ろしや。今の私には、アルコールは、鬼門中の鬼門。

 

 ところで、当たり前に酒を飲んでいた頃を振り返ってみると、何はさておき目的は、酒の味などではなく(もちろん、ビールやサワー類の喉ごしは味わいのひとつだったが)、「酔い」であった。

 

 「後先(あとさき)も考えずに行動する」などと言うときの後先は、時間軸上での、過去と未来を表す。

 

 家飲みの場合は移動の必要がないので、当然先など考えないとしても、外で飲んでいる場合は、終電までには帰ろうとか、もし終電に間に合っても寝てしまうと危険だとか、終電を逃せばタクシーを帰宅の手段とするしかなく、出費が飲み代以上に嵩むとか、酔った先の己れの行動が重要である…はずなのに…

 

 ところがところが、飲んで酔うことしか目的の存在しないおめでたい頭は、仲間と飲むのが楽しくて、酔いが回ると更に楽しくて、もう一軒行こう!なんてハシゴ酒をしていた。そんな頭では、時間の感覚も無くなり、どこで誰が会計したのかも覚えていなくて、気付けば、終点の駅で起こされたり、電車にも載れず、どこかで吐いていたり…

 

 何かの行動に出費を伴う場合、大抵はその対価を見極め、後先を考え、確かめる。例えば、電車に乗る。その目的は、今いる所からどこかへ移動するためである。切符を買うか、電子マネー(関東ならSuicaやPASMO)で乗車する。目的地で下車する。これで、支払ったお金の対価に関して、自分は納得したわけである。

 

 酒を飲む場合も、もちろん出費を伴っている。その目的は酔うこと。であるが、酔った先のことは考えない。この辺りを、飲まなくなった今考えれば考えるほど、まことにアホーでありマヌケな自分であったと、地団駄踏むわけである。

 

 大体、飲んだくれは、飲んだくれて酔っ払うことが最終目標なのであるから、その先に待つ、財布の紛失であるとか、どこかに身体をぶつけて怪我をするとか、家に何とか辿り着いてトイレを汚して怒られるとか、翌日この世のものとも思えぬ酷い二日酔い地獄に喘ぐなどと言うことは、何度も経験しているのに、考えもしないのだ。

 

 あー!やだやだ!

 

 でも、これらの事をつらつらと熟考してみると、今は、大抵のことの後先を考えて行動している自分がいることに、とっても安心する。

 

 飲酒と言う行為は、ある意味《野蛮》である。例えて言うならば、その先に崖があるのが分かっているのに、アルコールで気が大きくなって行う《チキンレース》みたいなものではないか。大事な命を酒に賭けてどうする。

 私の過去の飲酒という行為を歌にすると・・・

 『今日もまた 飲まずにゃおれぬ アルコール 燃ゆる命の 炎消しつつ』

 

 現在の私は・・・

『たつほどに 赤々燃ゆる わが命 悪縁切りて 生き直す日々』

 (この「たつ」という二文字については、私の断酒への思いが詰まっている。以下に9月下旬にtweetしたのを再掲しておく)

 

 --------------↓↓↓9月22日のtweet--------------
 断酒後、二度目の秋を迎えて、渾身の一句(笑)

 『たつほどに 秋の実りの 豊かさよ』

 たつ、は、 決断して《起つ》 のんだくれ生活を《絶つ》 酒を《断つ》 自分の足で《立つ》 新しい生活へと《発つ》 そして時間が《経つ》

 夏を越えて秋が来たとき、断酒の素晴らしさを実感する。

 --------------9月22日のtweet↑↑↑--------------
 

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