現役を引退して、それまでの仕事から解放されて、時間的な自由が増えたとき、何をしたいだろうか。
我が家の近所にあるコンビニと立ち飲みで、ほぼ毎日のように、似たような光景が繰り広げられている。
コンビニの前では...
...ある日は180mlの紙パック(日本酒?)を手に隠すように飲んでいる老人がいる。またある日は、片手に焼き鳥、片手にワンカップの老人。またある日は、缶酎ハイを所在なげに飲む老人。
私が良く見るのは、何れも、男性の60代から70代くらいの老人であり、夕方にはまだ間がある時間帯だ。店の外に設置されているゴミ箱の近くで、ボーッと立ち、酒を飲んでいる。
女性のアルコール依存症の人もいるのだろうが、男性とは行動パターンが違うのだろう。日中から外で飲んでいる姿は見たことがない。
立ち飲みでは...
...夕方早い開店と同時に、何人か入店し、既に飲んでいる。こちらも、若い人はおらず、老人が多い。店内という安心感があるのか、男性ほど多くはないが、年配の女性の姿も見かける。
昨夕見た光景は、その立ち飲みで既に飲み終わったのか、ふらりと店を出て、筋向いにある居酒屋へ向かう老人だった。その居酒屋のシャッターに貼られた「臨時休業」を知らせる紙を暫く睨んでいたが、どこかへフラフラと立ち去った。
これらの人々は、自分でお金を払って酒を飲んでいるのだし、恐らく、それぞれの人が、自分なりに引退後の生活を楽しんでいるのだろう。それも人生だと思う。
但し、自分が、60代、70代になっても酒を手放せない生活をしていると想像すると、身の毛がよだつのである。悪寒が走る。その年代でまだ飲んでいたら、きっと死ぬまで飲むのか、飲むから死ぬのか、どちらかだろう。
人間を60年も70年もやっていると、あっちこっちに身体的衰えがあるはずで、もちろん肝臓だって、若い頃と比べたらヘタっているだろうに、そこへ毎日毒物のエタノールを注入するわけだ。でも、その年になって、酒を飲めるという事は、ほぼ健康ってことなのかな、たぶん。適正飲酒を続けてきた奇特な人たちなのかも知れないな、とも思う。
かつての私のような飲み方をしていたら、そこまで命が持たないかもしれない。それこそ、アルコール依存症の寿命と言うのは、52歳とか聞いたことがある。
それでも、この先いつかスリップして、飲酒を再開してしまったら...自分があと10年、20年後に、昼からコンビニの店頭で酒を隠しながら飲んでいたり、開店と同時に立ち飲みに繰り出しているかもしれない...想像すると、背筋がゾクゾクする。
ちょっと遅かったが、五十路に足を踏み入れた辺りで酒を断った事は、大・大・大正解だった。恐らく、五十代も飲み続けたならば、更に断つことが難しくなったのかもしれない。ただ、これをずっと継続しないと、酒にお守りをしてもらう老人になってしまうかもしれない。
私は、酒なんぞ飲まないで飄々と生きて、枯れて行く爺さんを目指している。どうせ人間、お迎えが来るまではこの世が住処なのだ。死ぬまで素面の目で見て、素面の頭で考えて、しっかりと歩みたい。
70歳、80歳を越えて、飲んだくれ爺さんになるのだけは真っ平ごめんだ。
☆冒頭の写真は 昨日朝顔を撮影した場所で写した空。上のススキも同じ。
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