清水の舞台から飛び下りるような心で始めた断酒が、ある程度安定するまでに必要な妙薬は、自分自身の心の中に2つある。
今頃になって、そのことに気付いた。その妙薬を使い、何とか辛い時期を凌いで来たと言うのに。
それは何かと言うと、「強がりとやせ我慢」である。
辞書によれば・・・
【強がり】弱みを見せまいとして、虚勢を張ること。また、その人。
【やせ我慢】無理に我慢して、平気を装うこと。
これまで、ブログにもこの2つの言葉は何度も書いて来た。あまり良い意味では書いていなかったが、考えてみると、私はこの2つで、苦しい時期を乗り切ったのかもしれない。
虚勢を張って、無理に我慢して、飲酒及びアルコールのあら探しをしては、ブログに綴って来た。
この、強がりとやせ我慢でもって、酒を飲まないでいる状態を貫いて来たのは、決めたからには、飲まないぞ!と言う、矜持があるから。周囲に断酒を宣言した手前、自分自身のプライドを賭けている。
今思い返すと、私には、酒を飲みたくて仕方ない、という弱みを見せまいとして、虚勢を張り、無理に我慢して、平気を装う時期が、必要だったのだ。
【強がりとやせ我慢】は、ちょっと意味が違うけれども、心境は【武士は食わねど高楊枝】に似ているかもしれない。
【武士は食わねど高楊枝】は、「たとえ貧しい境遇にあっても、貧しさを表に出さず気位を高く持って生きるべきだということ。また、やせ我慢することのたとえ。」だそうだ。
ちょっとこれを改変して、酒断ちに当てはめてみると、
【断酒は飲まねど空元気】だろうか。酒を飲んで酔っ払って見せかけだけ元気になるよりは、飲まないで《空元気》でいた方がよっぽど身体にもいいね!
自分が決めたことを守り通すための強がりとやせ我慢なら、寧ろ楽しんでやってみた方が良い。空腹でも満腹の顔をしているようなものかもしれない。私の経験からして、慣れるまではかなりキツイことだけは確かだけれども。
この年末が、断酒後初の年の瀬となる方もいらっしゃることだろう。まだまだ飲みたくてたまらないという気持ちが残っている方は、大いに強がって、やせ我慢をして、除夜の鐘を聴いてもらいたい(笑)...百八つの鐘の音を、シラフで聴きながら人生を考えるのも、なかなか乙なもの。
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