私自身はもう酒を飲むことはないけれども、慶弔の儀式で酒が振る舞われることに異存は無い。
例えば、結婚式の三々九度。土地を清める。神棚に上げる。これ等は、清酒(日本酒)が登場しないと話にならない。
古来、酒は、何かの祝いとか弔いとかの「ハレ」の日に飲む、特別な飲料だったはず。(葬式は「ハレ」ではなく「ケガレ」としている説もあるが、ここでは「ハレ」と言うことで・・・)それを、「ケ」の日、つまり普段の何もない日にも飲むようになったのが、飲酒問題の根源だろう。
摂取すると精神変容を起こす飲料を、日常的に飲むこと。これがいけない。工業的に大量生産出来るようになり、誰でもどこでもすぐに入手できる体制が整ってきた頃から、酒害も増加の一途を辿って来たのだ。
飲んで気持ちが良くなるものは、誰でも飲みたい。毎日飲みたい。造れば、売れる。飲みたい人が沢山いて、毎日買ってくれる。需要と供給がここまで一致すれば、それは商売として成り立つわけだ。
私も、この《酒のおかしな点》にふと気付くまで、毎日当たり前に飲んでいた。
一度、何かをきっかけにして、頭の中を覆っている酒の靄はたまた霧が晴れて、くっきりと360度見渡す経験をすると、それまで囚われていた飲酒と言う習慣が、如何に馬鹿げたものか分かるのである。
ただ、分かったからと言って、おいそれと飲酒の習慣を断つことは出来ない。断つには、人それぞれ、自分で試練を乗り越えなければならない。
私はもう、ハレでもケでも酒は飲まない。どんなに目出度くても、どんなに沈んでいてもただそれを受け入れる。アルコールなどと言う余計なものは、飲まない。
ハレで飲むと言えば、私はつい先ほどまで、地域の少年野球チームの卒団式に呼ばれ、出席していた。息子がかつて在籍し、お世話になったチームだ。たまにほんの少しだけお手伝いをしているだけなのだが、息子が卒団してからも呼んで頂いている。
6年間頑張って、晴れて卒団を迎えた子供たちを祝うハレの行事である。もちろん、アルコールが我が物顔に登場していた。
安く挙げるため、値段がジュース並の缶ビールと酎ハイを量販店から沢山購入してきて、クーラーボックスに冷やしてあるのだ。会費を払った人は、それらを勝手に好きなだけ飲んで良い。例の4リットルくらいのどでかいペットボトルの焼酎と氷も揃っていた。
(↑↑↑正確には《缶ビール》ではなくて、《第3のビール》と言うジャンルのビールもどき)
私も、ママさんたちから、当然のように酒を勧められた。去年もそうだった。
ママさん「のみすけさんはビール?それとも酎ハイ?」
のみすけ「あ、私、2年前から酒やめてるんで、この、ウーロン茶で」
ママさん「(ノ゚ο゚)ノ え、ぇ、えぇーーーっ!本当ですか!?」
のみすけ(・・・( ̄. ̄;)そ、そこまで驚かなくても・・・)「あははは!」
私が自分で感じた、去年との明らかな違いは、炭酸系のアルコール飲料に全く身体が反応しなくなったことである。それに、コーラやジュースでさえ飲みたくなくて、ずっとウーロン茶を飲んでいた。しかも、氷なしの常温で。
私が酒を断った話を、息子がいた頃から知っているコーチのAさんと話していた。そしたら、Aさんが、隣にいたBさんを見て、
「ほんとは、この人、酒飲んじゃいけない身体なのに、飲み歩いてるんだよ」と言いながら、腹に注射を打つマネをした。
「え!ひょっとして、インスリン?糖尿病ですか?」と私。
「そうそう。でも、少しなら大丈夫」と、Bさん。
ん~。今晩の飲みっぷりを見ていても、少しのわけがない。飲んではいけない病気なのに、やめられない止まらない、飲酒とは、おそろしい習慣であることを痛感した。
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