(↑↑↑赤ちゃんの写真は、《フリー素材屋Hoshino》さんから借用)
『現し世に 酒と言ふもの 無かりせば 幾多の命 全うせしを
(うつしよに さけというもの なかりせば いくたのいのち まっとうせしを)』
みなさんもニュースでご存知であろう。30代の母親が酒に酔って乳児と風呂に入り、気付いたら赤ちゃんが溺死していたと言う。東京は葛飾の都営住宅、9日午前0時半、生後6ヶ月の女の子。
生後6ヶ月と言えば、首も座って、手足を元気よく動かしたり、盛んに寝返りをする頃だ。早い子は、一瞬だが、お座り出来たりする。自分の娘の赤ちゃんの頃を思い出して、このたった半年で亡くなってしまった女の子と重ねて、涙が滲んでしまった。
冒頭に詠んだ歌は、このニュースを知って、私の心に去来した思いだ。もしもこの世に酒が存在しなかったら、これまで酒が原因で奪われしまった数多くの命は、その天寿を全うしただろうになぁ、と。
アルコールが原因で失われる命。何れも、若くして死ぬことが多い。
→アルコール依存症末期で死ぬ。各種の癌に罹り死ぬ。各種の病気になり、死ぬ。酩酊状態の時に線路に落ちたり、道路で寝込んでしまったりして、死ぬ。
アルコールが原因で奪われる命。何れも、無辜の被害者の命が理不尽に突然奪われる。
→酔っ払い運転の車に轢かれて亡くなる。酔っ払い同士の喧嘩で亡くなる。
他にも、直接・間接にアルコールが影響して、もっと生きられるはずだった命が失われたり、奪われたりするケースが沢山あるはずだ。これらの命は、酒さえなければ、もっと自分の人生を思う存分生きていたはずなのだ。
この世に酒が有り、それに囚われ溺れてしまったからこその私の断酒だが、この赤ちゃんのニュースは、そもそもの、根本的な酒の存在そのものを深く考えてしまう出来事だった。
この世に生を受けて、たった半年の命が、酒という忌まわしい飲み物によって奪われてしまったのだ。
酒とは、なんともはや、陰気で因業な飲み物であることか。人の運命を狂わせ、命を奪いこそすれ、それに見合う恩恵など何もない。
2015年3月1日に書いた記事『娘の同級生は酒飲み!?(断酒1年352日目)』で、詠んだ歌も再掲してみる。
『世の中に 酒と言うもの なかりせば げに平和なる 暮らし近づく』
(この写真は、《CATAGフリー画像・写真素材集》から借用)
飲んだくれの本人が早く死んでも、それは自業自得と言うものだ。飲んだくれ本人以外の命を、飲んだくれた酒の所為で奪わないでほしい。
そんな事を考えていたら、自分ひとりの断酒など、何だか虚しいような悲しいような気がして仕方がなかった。だから酒を飲みたいと言うわけではなくて、表現が難しいが...
もっともっと酒の怖さ・恐ろしさが世の中に浸透し、酒を飲む人が激減すればいいのになあ、と淡い期待を心に浮かべている。
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