今日も一日が終わった。
辛いこともあった、嬉しいこともあった、心も疲れた、身体も疲れた。
一日の仕事なり、予定していた行動なりが終わって、家路に就く、夕暮れどき。何に癒されるだろうか。何に癒されたいだろうか。
それはもちろん、「お酒!」かな。世の中には、そう言う人が多いことだろうなあ。酒のほうでも、身をせり出して、私が癒してあげましょうってな感じで、あっちこっちの棚であなたを待っているかも知れない。
そりゃま、昔の私は、毎日、酒に癒されていた(ような気がする)。
でも、今の私の考えは、
「酒になんか癒されたくはない」
そもそも「癒される」とは・・・「それとの関わりを通じて、辛い思いなどが和らぎ、穏やかな気分になること。ストレスが軽減されること。」だそうだ。
辛い思いなどが和らぐ、ような気がして、飲んでいた。
穏やかな気分になる、ような気がして、飲んでいた。
ストレスが軽減される、ような気がして、飲んでいた。
けれども、私にとっては、これら全てまやかしに過ぎなかった。決して酒は、癒してくれるはずもなく、ただそんなような気がして飲んでいただけだ。
世間一般的にも、あたかも酒にそんな効果があるような雰囲気を醸し出している。売る側は、癒し効果を、目一杯酒のアピールポイントにしているし、買って飲む人も大いに勘違いして飲んでいる。
(あ!誤解があるといけない。もちろん、本当に酒に癒される人は存在する。ここでは飽くまでも、私にとっての話を書いているに過ぎない。)
癒されると思って飲み続けていたら・・・
辛い思いなどが和らぐ、はずが、更に辛くなってきた。
穏やかな気分になる、はずが、心が荒んで来た。
ストレスが軽減される、はずが、飲むほどにストレスが増幅している。
大方、こんなところだろう。
そこに気付いた人は、
「酒になんか癒されたくはない!」のである。
早朝の散歩で癒される。
小鳥のさえずりに癒される。
昇る朝日に癒される。
頬を撫でる風に癒される。
道端に咲く花に癒される。
飼っているペットに癒される。
子供のふとした仕草に癒される。
一杯のお茶に癒される。
何かの薬を飲んで癒されるような気がするのは、脳内でその化学物質が作用しているに過ぎない。酒で言えば、エタノールが脳に作用しているに過ぎない。
本当の癒しは、もっと健康的である。本人の気付きが第一の条件である。自分の身近にいくらでもある癒しの機会を捉えることが出来れば、いつだって癒されるのである。
また、癒されるだけでなく、癒してあげることも必要だ。癒し癒され、持ちつ持たれつ、生きて行こう。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)