窓辺から、心地良い風が吹き抜けて行く。
その風の通り道に横たわり、目を閉じる。昼過ぎなので、これは昼寝だろうネ(笑)二日酔いで寝ているのとの違いは、身体全体が心地良いこと。頭のてっぺんから足の指先まで。固い床の上で風に吹かれて眠るだけなのに、極楽なのである。
午前中、かみさんの用足しに付き合った私は、往復1時間のポールウォーキングを敢行してきた。かみさんは、自転車だったが。その軽い疲労感も、この快適な昼寝の燃料になっているようだ。
午後は私の自由時間だった。家族はそれぞれの用で出かけたり、部屋にこもったりしている。
気持ち良くなる為に人は酒を飲むらしいが、何もわざわざそんなもの飲まなくても、至福の時間を味わうことは可能だ。
断酒後の心の変化は、じわじわと、それはそれはゆっくりと、しかし確実に起こる。あれだけ激しかった「酒」への渇望と憎悪だが、最近はあまりそう言う感情にはならない。酒を忌み嫌い、断酒継続がうまく行ったけれども、今は「無関心」である。
禁煙後のタバコへの心の変化と同じ。禁煙直後から暫くは、タバコの新しい銘柄や、タバコを吸う人への憧憬が強かったが、いつの間にか無関心&タバコの煙そのものを嫌悪するようになった。酒には無関心だが、酒(アルコール)の発する強烈な臭いは、鼻に入るだけで気分が悪くなる。
何かを身体に入れて快楽を味わうと言うこと。その、入れる何かは、アルコール、覚醒剤、麻薬、大麻、タバコ、など合法・非合法問わず何であれ、人間の身体にとっては、不自然な物質である。脳が、その物質によりもたらされた快楽に一度味を占めれば、リピートを要求するに決まっているのだ。
これらの人工快楽物質は、始めるのは簡単だが、断つのはとても難しい。人工快楽の継続には、カネと時間と健康と信用を費やさねばならない。
しかし囚われの身からひとたび解放されてみよ。何もなくても、健全な我が身一つあれば、至福の時間を味わうことが出来るのだ。
私は、昼下がりに吹く風と、軽い疲労と、少しの満腹感。これが揃っただけで、得も言われぬ午後の至福のひと時を味わうことが出来た。
昼寝の起き抜けに飲んだのは、冷たいルイボスティだった。このお茶が喉を通り抜けて胃に落ちる時の、何とも言えぬ爽快さも、至福のひと時であった。
↑↑↑やっぱり、この夏はこれでしょ!↓↓↓
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