『やめたいことは、やめられる。(アルボムッレ・スマナサーラ著/河出書房新社)』
アルコール依存症関連の本ではないが、その内容には、いきなりガツーンと頭を殴られたような衝撃を味わい、酒なんか飲んでられん!との思いを、鋼のように強くする内容である。
本当のところ、私たちは誰でも、やめたいことは、やめているのだそうだ。例えば、
①燃えている火には飛び込まない
②走る電車に飛び込まない
③毒蛇とふざけて遊ばない
これらに共通するのは、自分の命に直接関わることで、危険だと言うことをちゃんと知っていると言うこと。
では、やめたいのだが、中々やめられないことは?
そう、命に直接的には関係しないが、間接的に関係することである。タバコと酒など、正に当てはまる。
タバコ。1本吸っても、死なない。毎日ひと箱吸っても、死なない。それに、喫煙している誰でもが肺癌になるわけではないし、吸うと頭がスッキリするし...と、ちょっぴりやめようとは思っても吸い続ける。
でも、そのタバコに青酸カリをちょっとまぶして、「ハイ、青酸カリ入りのタバコですよ」と、渡されたら、どんなヘビースモーカーの人でも、吸わないだろう。命を落とすことになるからだ。
飲酒に関しても、全く同じことが言える。毎日相当量のアルコールを飲んでも、すぐに死ぬことは無い。どころか、酔いが回ってとても良い気分になる。だから、日々それを繰り返して、深みにハマってゆく。
間接的にしか命に関わらないモノ・コトに関しては、私たちは優柔不断になりやすい。
では、どうしたら良いのかが、具体的に書かれている。
先ず、自分の心に起こる、様々な感情を、ただ確認(チェック)して行く。
「今、とても頭に来ることがありました」
「今、はらわたが煮えくり返ってます」
「今、とても酒が飲みたいです」
次に、「今、私は幸福ですか?」と確認(チェック)する。
そして、「今、私は全然幸福ではない」と言う現実を発見したら、そのままその気持ちを確認(チェック)する。
たったこれだけのことを練習すれば良いそうだ。
早々やってみたのだが、気の短い私にはとても効果がある。先ず、いちいち自分の感情を確認している内に、イライラしていたり怒ったりしている気持ちが和らいで来る。その上で、自分はこんな感情で幸福か、と問えば、更にネガティブな気持ちが萎えてしまう。つまり、何だか明るくなってくるから不思議だ。
他にもとても為になることが書かれているが、ブログの文章では紹介しきれない。が、ひとつだけ、「お酒をほどほどでやめたい」と言う質問に、スマナサーラ長老が答えているので、書いてみたい。
「お酒を適量でやめられず、飲み過ぎてしまいます。酒の上での失敗もあります。どうやったら適量で飲むのをやめられますか?」
丸でこの質問は、かつての私が問うた内容である。
さて、スマナサーラ長老の答えは・・・
『酒は、人間が幸福になる能力を奪うものであり、毒である。幸せになりたくて酒を飲んでいる積りかもしれないが、実際は毒を飲んでいるのである。
仏教でなぜ酒を禁止しているかと言うと、理性を失い、正しい判断が出来なくなるからである。人間の能力である知識を壊すのが酒なのだ。
酒の量について、適当と言う事は成り立たない。何故なら、毒・危険と言うものは、「少しならいい」と言うわけにはいかないからである。酒は肉体だけでなく、精神に影響を与え、酒への依存を強める。依存性を持つものは、何にしろ良くない。
依存が何故良くないかと言えば、依存とは自立の反対であって、完全たる自由(解脱)の一番の敵が依存だからである。』
酒をやめてからず~~~っとブログに綴って来たことが、スマナサーラ長老の本で裏付けされたような気がして、とても読後感がジーーーンとして、身体がポカポカしてくる本であった。
読書の秋!なので、明日から、数日、読書感想文が続くかも!?乞うご期待!!
とらさんから、Happy!《読者通信》に、酒の武勇伝シリーズが届きました!
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