今読んでいる本で、禅僧の酒断ちの神髄を知った。
『悟る(関牧翁著/毎日新聞社)』
私は精々が、断酒→嫌酒→不飲酒→忘酒だったが、この本の著者、臨済宗の関牧翁禅師は、大好物の酒を断って飲まない状態を、《禁酒》ではなくて《廃酒》だとおっしゃる。
次の一文で、かつては大好きだった酒を、今はもう飲んでいないことをさらりと表現されている。流石である。
「私は、今は廃酒(禁酒ではありません)しておりますが、むかしは酒を好みました。」
私は、この2文字《廃酒》を見ただけで、もう、参った!ナニ!《廃酒》!?丸で、関牧翁禅師から、警策をバシーーーン!と受けたような気がした。
「ふふふ。のみすけよ、忘酒の心境などと、まだまだ、甘いぞ。己に酒が不用であれば、なぜ廃酒せんのだ!カーーーーーッ!」
goo辞書で《廃》の字を引いて見ると...
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はい【廃〔廢〕】
[常用漢字] [音]ハイ(漢) [訓]すたれる すたる
1 くずれて使えなくなる。すたれてだめになる。「廃屋・廃墟(はいきょ)・廃物/朽廃・荒廃・興廃・頽廃(たいはい)・老廃物」
2 不用のものとしてやめにする。「廃案・廃位・廃刊・廃棄・廃業・廃校・廃止・廃車/改廃・全廃・存廃・撤廃」
3 (「癈(はい)」と通用)からだがだめになる。「廃疾・廃人」
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《廃酒》は、これの2番の意味を当てている。酒を、自分には不要のものとしてやめにする。
私の、断酒→嫌酒→不飲酒→忘酒の流れだと、先ずは断って、断ち続けるために嫌って、そのうちに飲まない生活が普通になって(不飲酒)、更に、酒を忘れる。忘酒に到達で、一区切りかと思っていたら、禅僧の断酒は、酒は不用のものとして廃するのである。
『断酒』は、酒を断つわけだが、『廃酒』は、酒を廃する。
因みに、不用・不要だが、酒に対しては、私の場合「不用」を当てるのが的確のようだ。
断食・断酒・断水は、断つ状態を終わらせて、食を摂り、酒を飲み、水を摂ることができるが、廃棄・廃車・廃水は、棄てたもの、棄てた車、棄てた水など、二度ともう一度元の状態に戻ることはない。
廃酒へと駒を進めることにしよう。
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