惰性の断酒はキケン。目的がないと、なんとなく飲んでしまうこともある。
と、断酒に集ってくださった方々の意見の交換の場・断酒マラソンのコメント欄を活用した掲示板モドキで、語られていた。
私も全く同感で、日々、酒を断つことの意味を自分に問うている。酒を断っている方の数だけ、酒を断つ理由が存在するはずで、私の場合は、直接のきっかけとなった3年前の大失態を、鮮明に思い出すことで、酒を断つことの重要性を日々再認識している。
酒は、人間にとって魔の飲料であり、魔の液体である。今日も、それについて書き、自分の断酒の糧としよう。
3月23日未明(2016年)、まだ二十歳の男が、酒を飲んで車を運転し、起こした事故。
整備不良の車を見つけたパトカーに追いかけられ、逃げようとして時速100kmで、タクシーに激突。運転手の男性(49)が亡くなった他5人が重軽傷。
報道は全て、「飲んで運転した男が悪い。」...これだけで終わっている。
それはもちろん、正しい。飲酒して酔っ払って運転するのは、良くないに決まっている。
片手落ちなのは、その酔いをもたらした、酒そのもの、これについては、何も論じられていない。飲み物として日常的に存在し、誰でも成人であれば飲んで当たり前であることが、まるで呼吸するときの空気の存在と同じような位置付けなのだろうか。
毎日、日本だけでなく世界中で、飲んで酔って車を運転した上での事故が起きている。
禁酒は、法律でも宗教でも、それを命じることは出来ても、守られることの不可能であることは、これまでの歴史が証明している。飲むなと言われたら益々飲みたくなるのが人間なのだろう。
日本以外の国で、アルコールの害についての教育がどうなっているのかは知らないが、少なくとも我が国日本では、教育の上では、飲酒の危険性についての教育はゼロに等しいだろう。
以前にもブログに書いたことだが、義務教育の小学校~中学でも、タバコの害については保健の授業で教わるみたいだが、酒の害についての教育は無いようだ。これは、自分の子供から直接聞き取り調査をしている。
親を含め周囲の大人や、テレビなどの映像メディアで、格好良いタレントや俳優が、当たり前にうまそうに酒を酒を飲んでいる姿を見て育った子供は、酒に対する警戒心など持たずに大人になる。私自身がそうだった。五十路を過ぎるまで、酒の危険性を認識できなかった。
子供時代の刷り込みは、洗脳と同じ、強力なものである。先ずは酒に対して、きちんとした真実の教育が必要だと考える。
今日は、久しぶりにかみさんと鉄道会社主催のウォーキングに行って来た。西武遊園地のすぐ近くの多摩湖(村山貯水池)の周囲を歩いて来た。
桜は、やっと開花したばかりで、まだまだ一分咲きまでにもなっておらず、肌寒い。歩き始めは曇っていたが、段々と太陽が顔を出し、ゴールする頃には、良い天気になっていた。
エピソードをひとつ。
途中にあった郊外の大きなスーパーでトイレ休憩をした時のこと。
外にいくつかベンチが置いてあり、その内のひとつに座った。端っこに、アル中とおぼしきおっさん(60歳くらい?)が座っていたのだが、生憎そのベンチしか空いていなかった。そのおっさんは、ジャージの上下のような格好で、店先で売られていた移動販売の焼き鳥を右手に持ち、ムシャムシャ食いながら左手に持った缶酎ハイをグビグビやっていた。
かみさんが先に行き、私が後からトイレに行き、戻った時だった。かみさんの横でムシャ&グビをやっていたおっさんが、たぶん飲んだ酒が気管に入ったのだろう、いきなりゲホゲホオエーッ!って、焼き鳥と酒を同時に吐き出した。鼻と口から同時に噴出したようだった。
私は、そのおっさんの様子と、隣でギョッとして飛びあがらんばかりに驚いた表情のかみさんを見て、ビックリするやら、おかしいやら・・・
かみさんはそそくさと立ち上がり、すぐそこを離れた。私も一緒に歩きだし、
「やだね~、みっともないね、昼間から」とかみさんに言うと、かみさんは、
「お酒って、こわいねー」とひと言。
このひと言は、重かった。
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Happy!《読者通信》に、月のうさぼとNoSakeさんから、メール便来てます。月には桜がないので、花見はやらないみたいで、もっとおしゃれな集まりですよ~!なんだか、メンバーが増えて賑やかです(笑)NoSakeさんの方は、うまそうです!
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