これまでに何度かブログに書いたことがあるけれど、私は哲学者の池田晶子さんの本を良く読む。
今読んでいるのは、「犬の力を知っていますか?」と言う、昨年(2015年)の8月に出版された本だ。著者は、2007年の2月に、46歳の若さで亡くなっている。この本は、それまでの著作の中から、犬とお酒に関する作品を選んで編んだものだそうだ。
著者は酒をこよなく愛し、終生飲みつつその精神世界を深く掘り下げて数々の著作を世に送り出した。
「人生は、お酒とともに」の章の中で、彼女の酒飲みについての定義が書かれている。
曰く。
「酒飲みにとって、飲まない人生というのがどのようなものであり得たのか、文字通り想像を絶している。」
「たんなるアル中
そんなことはない、それとは違う。私は節操を守ったのだもの。朝から飲むことだけは決してすまい、それだけは固く守っていたのだもの。そんなことを始めたら、精神は弛緩して、とめどなく崩れていくだろう、そのことははっきりとわかっていたのだ。それでは話があべこべになる。そんな飲み方はつまらない。」
「酔うほどに冴えわたる、そういう感じになるのだった。」
中に、Q「お酒の席での失敗が多いんです」という問いに対して、著者の回答は、
A「ウサを晴らすために酒を飲むのは、お酒に対して失礼というもの。人生に酒という友があるのは大切なこと。友を大事に。」
さらに著者は、次のように述べる。
「私があなたと違うのは、酩酊はしても、わからなくなるということがない。なんというか、意識のある部分がいよいよさえ渡って、自分が言ったことも、相手が言ったことも、状況の仔細も、全部はっきり覚えているのです。」
『あなたは本当に「お酒が好き」なのでしょうか。酒が好きとは、酒のおいしさを味わうとともに、酔ってゆく自分を楽しめることでしょう。飲んで楽しくなれないのなら、なんのために酒など飲むのですか。本当に酒が、飲むことそれ自体が好きなのですか。』
この辺りを読んで、なんというか、池田晶子さんは、酒に強いと言うよりも、そもそも、飲み方、酔い方がまったく私などとは違う方だったのだな~、と、脱帽。
だからと言って、私が彼女のような本当の酒飲みになれるはずもなかったわけであることも、良く理解出来た。
私は、酩酊するだけで、何もかもわからなくなり、自分が言ったことも、相手が言ったことも、状況の仔細どころか、大まかなことでさえも、何も覚えていなかったのだから!
私には、酔ってゆく自分を楽しむことも、飲んで楽しくなることも、出来なかった。寧ろ、酔えば酔うほど、苦しみの中に己を投入してゆくことになった。
かつて、あなたは、本当の酒飲みだっただろうか。それとも単なる酔っ払いだっただろうか。私はもちろん、後者の、只の性質が悪い酔っ払いであり、今でも飲まないだけで全く変わっていない。
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