最近(2016年)福岡で、3月30日には、交通安全協会会長(男、61歳)が、4月7日には、大学教授(女、49歳)が、それぞれ飲酒運転で事故を起こしている。
社会的に信用を要求される地位にありながら、何故?と、誰しも素朴な疑問を抱くことだろう。
事故の詳細は、ネットにニュースとして出ているので、ここには書かない。興味ある方は、上記の文章の中のいくつかをキーワードに検索すれば、すぐに読むことが出来る。
『酒を飲み 酔いが回れば みな同じ 己消失 酒の支配下』 (さけをのみ よいがまわれば みなおなじ おのれしょうしつ さけのしはいか)
と、短歌に詠んでみたが、結局、人間の身体は、地位や名誉に何の関係もなく、酒を飲めば酔い、酔えば己を失い、酒の中のアルコールによって脳が正常に機能しなくなるのだ。
冒頭に挙げた両名の方は、アルコール依存症と言う程の飲み手ではないと思われる。たまたま飲んだ日に車を運転してしまったのだろうが、恐らく、飲む前の素面の時には、飲酒運転は危険であり、決してしてはならないことを理解していたはずだ。
酒の恐ろしさは、こうした人々の日常を、いとも簡単に破壊することにある。飲んで酔う、と言うごく単純な作用によって、それまでに何十年もかけて築き上げて来たものを、全て失う。もう一度築き上げるには、それまで以上の年月が必要となるので、一度失われてしまったものを取り戻すことは、ほぼ不可能である。
世間では、これらの社会的に信用を要求される人々の、酒酔いによる暴力沙汰や、飲酒運転事故が、毎日のように報道される。それを見て、酒の恐ろしさを認識し、それらの事象から自分を守るには、唯一の手段として断酒しかないと、気付かないのだろうか。自分だけは大丈夫だと高を括っているのだろうか。
などと、高尚なことを書いているが、私自身が自分だけは大丈夫と高を括っていた人間なのである。振り返れば、運良くタイホされたことがないだけで、これでもかと酒で問題を起こして来たのに、気付かない振りをしていただけなのだ。
酒に強い・弱いなどは一切関係なく、「酔って己を失うのが人間というもの」なのである。人間の身体の作りは皆同じで、口から酒が入れば、食道を通過して胃の腑に落ち、腸を通過し、アルコールが吸収されて、全身を駆け巡り、その量次第では、本来の自己を失い、酒に支配されてしまう。
ここに気付けば、酒による一切の害悪から己を守るのは、断酒以外にないことが良く分かることだろう。人の飲酒を止めることは出来ないが、自分の飲酒は自ら止めることが出来る。
今日も一日断酒。健全である。
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