先日、飲酒運転を話題にした時に、福岡の49歳の教授を取り上げた。
つい2日前の4月11日(2016年)、京都では同志社大学法学部の68歳の教授が、飲酒運転で歩道の街路樹に衝突して、逃げてタイホされた。
「酒を飲んで運転したことに間違いはありません。警察にばれたくなかった」
とのことだが、これでこの人、天下の仕置きを定めた、法律の専門道場、法学部の教授なのである!
理性とは、
物事の道理を考える能力。道理に従って判断したり行動したりする能力。
道理とは、
物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。ことわり。
つまり、酒の飲み過ぎによって、人として行うべき正しい道を考え、判断し行動する能力、理性のブレーキが壊れてしまうのである。その末路はアクセルペダルしかない暴走車と同じ。
大学と言う最高学府で教える人でも、アルコールが大脳の活動を抑制する作用により、人間として一番大事な《理性》が失われてしまうのだ。
飲酒運転は、危険なので、法律で禁止されている。常識である。子供でも知っている。だのに、大の大人が、しかも社会的に信用のある人たちが、酒を飲んではいとも簡単にそれを破るのだ。後から後から、これでもかこれでもか、と毎日のようにニュースになっている。
単独事故で、飲酒運転している本人が死ぬだけなら、自業自得だが、あっと言う間に、丸で無関係の人を傷つけたり、命を奪ってしまったりすることが多い。被害者にしてみれば、他人の飲酒によって、自分の人生を奪われてしまったことになる。
これからの季節、炭酸系のアルコール飲料が飛ぶように売れ、当たり前のように酔っ払いも増えて来る。現に街角では、昼間から缶のアルコール飲料を抱えた人の姿が目に付くようになって来た。
飲酒時代、いつでもどこでも色んな種類の酒が当たり前に買えて、堂々と飲めるのがとても嬉しかったが、今ではそれがとても奇異な光景として、私の目に映る。一定量以上飲むと、理性が壊れてしまう飲料が、ジュースと同列に売られているのだ。
私が飲まなくても、全く知らない、何の関係もない他人が大量に酒を飲んで、その人の壊れた理性のブレーキが私に害を及ぼすかもしれない・・・
自分の理性のブレーキは、断酒によってかなり効き目に磨きが掛かっているのだが。
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