女将さんからのコメントを読んで、ハタと考えた。
アルコール依存に関わらず、何かに依存する病は、全くそのような依存の兆候すら持たぬ人の目にはどう映るのだろう。
その人たちの視線を意識すると、恥ずかしい病なのだろうか。
女将さんが入れて下さるコメントには、私をしてとくと考えさせるためのヒントが入っており、ブログを書く上でとても参考になる。
無い頭をギューギュー絞って考えて、私の至った結論から先に書くと、人間が患うあらゆる病気の中に、ひとつも恥ずかしいものは存在しないと言うことだ。
況してや、アルコール依存に自ら気づいて、この病の唯一の回復の手段である酒断ちを実践しているのならば、恥ずかしいどころか、胸を張って堂々と、「自分はアルコール依存症であるから、断酒している」と、宣言しても良いとさえ思う。
敢えて書かないけれど、他にも、色んな依存の病がある。何れも、その依存の対症から離れることにより、回復に向かう。回復はあっても、治癒は無いことも同じだ。そして、決して恥ずかしい病ではないことも同じだ。
私は、自分がアルコール依存症なので酒を断っていることを公言している。酒を断った当初、「どうして?」だの「少しくらいのめば?」だの、他にも、酒を飲むのが当たり前なのに、飲まないのはどういうことなんだ?みたいな「???」ばかりが多くて、いちいち答えるのが面倒なので、病気なので飲まない、のシンプルな理由を言うことにしたのだ。
これが浸透すると、同じ事を聞いて来る人はいなくなる。半年くらいはかかるかもしれないが、効果覿面である。
そんなわけで、アルコール依存症も、単に人間が患う病気のひとつに過ぎない。しかも、特段の薬も要らず、酒を断つことにより回復する、とてもシンプルな病である。もし、患っているのがアルコール依存症だけであるならば、寧ろ喜ぶべきことかもしれない。
不治の病の中で、これほど原因と対処方法がはっきりと分かっている病は、アルコール依存症しかないのではなかろうか。
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