昼間、歩いている時にふと、「楽は苦の始まり、苦は楽の始まり」の、フレーズが浮かんだ。
何故か分からぬが、なるほどなぁ~と思いつつ、スマホのメモ機能に、メモした。最近は、日中に何か浮かんでも、帰宅すると忘れていることが多いので、すぐにメモすることにしている。
昔は、紙のメモ帳を引っ張り出しては、ボールペンで書き込んでいたものだが、最近は、メモも写真も動画も何でもスマホで出来てしまう。
スマホのメモに入れつつ、でも、このフレーズは元ネタがあったような・・・と、これもすぐにスマホで検索してみたら、古事・ことわざにある、
「楽は苦の種、苦は楽の種」
だった。これが脳の片隅に記憶されていて、「種」が「始まり」に変わったのだろう。
「楽は苦の種、苦は楽の種」
今、楽をすれば後で苦労する。今、苦労すれば後で楽になる。これは、この断酒ブログのテーマと重なるなぁ。
酒を飲んで酔っぱらうのは、とても楽だ。何しろ、液体を飲むだけなのだから。しかも、アルコールが脳に作用して、気分もウキウキして楽しくなって来る。でも、この《酒の楽》は、実は苦の種であることに、人は中々気付かない。特に問題飲酒の人は、飲めば飲むほど苦の種をあっちこっちに撒いて、発芽させ、苦の大木を育てているのだ。
そしてある日、随分と暗くじめじめとして来た地面を見て、太陽の光が遮られていることに気付く。どうすれば良いのか。自ら育てた苦の大木の全てを切り倒さねばならない。さあ、それが苦痛だ。立派に育った苦の大木は、あちこちに生い茂り、一本一本手作業で切らねばならない。これは、苦痛だ。
苦しいが、一本ずつ切り倒し、刈り取って行く作業を日々続けるうちに、鬱蒼として陽も射さなかった地面に、段々と太陽の光が降り注ぐようになって来る。飲んだくれ時代とは全く景色が変わって来る。
苦は楽の種だと、分かる日が来る。
『楽をして 撒いて育てた 苦の種を 苦しんで刈り 楽を呼び込む』
先に酒で《人工的な楽》を覚えてしまったのだから、楽の元(酒)を断って、苦しんで、《本物の楽》を手に入れるしかないのだ。
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