酒の怖さを忘れないために、日々この断酒ブログを書いている。
どんどん筆が進んで、サクサクサクッと30分くらいで書くこともあるし、昨日のように、書いている内に睡魔に襲われ(何しろ私は早寝早起きなので!)、翌朝読み直して、何だこりゃ!なんてこともある。
さて、今日は、書きたいことが浮かばなかった。こういう時は、飲酒がらみの事件や事故をネットのニュースで検索することにしている。
私の目に留まったのは、10月16日(2016)の23時55分ごろ西武池袋線の飯能近辺で起きた人身事故だ。
被害者の男性は40~50代で、酒に酔って線路を歩いていたところ、池袋発飯能行き下り快速列車に撥ねられ、即死。どうも、上半身と下半身が断裂してしまったらしい。
10月16日と言えば、日曜日。何かの飲み会で泥酔するまで酒を飲んでしまったのだろうか。
私は、道路や駅や公園で寝込んでしまったことはあるが、線路を歩いたことは無い。けれども、それもたまたま経験しなかっただけで、泥酔して、何だか訳が分からなくなった状態であれば、誰でも似たような危険に遭遇することはある。
あの世があるかどうかは知らぬが、もしあるとして、この男性は、自分が死んだことにさえ気づいていないのかもしれない。道路ではなく線路を歩くことが危険であることは、素面であれば十分に心得ているはずだが、エタノールによって麻酔を掛けられた脳は、そもそも自分の身が安全か危険かなど、考慮しない。
酒に酔うことは、とても気持ちの良いもので、ほろ酔いよりは、その先の酩酊へ、酩酊よりは、泥酔へと、更なる快感を求めて、酒量が増える。性質の悪いことに、飲んでいる本人は、どんなに飲んで酔っ払っても、自分はまだまだ大丈夫と思っている。
極論だが、適量で飲酒をSTOP出来ない人は、酒を飲む前に、自分の命と酒を天秤に掛けて、どちらが大事かを量ってみたほうが良い。
飲酒がらみの、このような痛ましい事故を見聞する度に、酒を飲んで酔っ払う行為とは、一体何なのだろうと、今更ながらに深く考えてしまう。飲んで酔っ払うことは、自分がかつて毎晩のようにしていた行為なので、尚更である。
飲酒する人の何割かの、アル中とアル中予備軍に属する人はもちろん、そうでない人でも、酒を飲み過ぎることは、その飲んだ酒と自分の命が、天秤に掛けられることになるかもしれないことを肝に銘じておく必要がある。
天秤がバランスを保っていればまだ良く、命のほうが重ければ上々だが、酒の方が重くなってしまい、命が軽んじらるようなら、酔っぱらって気持ちよくて天国気分だったはずが、あっという間、一瞬にして、阿鼻叫喚の地獄に落ちるかもしれないのだ。
酒を断つと、このような酒と自分の命を天秤に掛けるような日々から、完全に開放されるのである。
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